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 松尾芭蕉の俳諧紀行「奥の細道」は、西行ら先人の足跡をたどる旅だった。そう授業で習った記憶があるが、嵐山光三郎さんが著書「芭蕉という修羅」で紹介している裏の説が興味深い。

 時の将軍綱吉は仙台藩の力をそぐため、日光東照宮の修繕工事を命じた。不満が反乱につながらないよう、行動を見張るための、いわばスパイの役割があったという。芭蕉の別の顔を見るようで面白い。

 芭蕉が旅した江戸時代、薩摩には参勤交代にも使われた薩摩街道があった。鹿児島から出水へと抜ける旧道は、新たな幹線道路ができて一部は廃れていたが、保存会のメンバーが掘り起こし、道標も取り付けた。市民が地元の歴史を知る手掛かりになっている。

 街道沿いにある薩摩川内市街地の川内川河岸には、当時の様子を伝える船着き場の史跡がある。橋が架かっていなかった時代、一行は近くの宿に1泊し、船で向こう岸に渡って江戸を目指した。

 船着き場は近年の河岸整備の際、江戸後期に編さんされた「三国名勝図会」にある絵を参考に再現した。石畳が堤防から川岸まで続き、往時の面影を想像させる。歴史を感じながらの散策は味わい深い。

 芭蕉がみちのくに旅立った日にちなみ、きょうは「旅の日」だ。船着き場の上流には九州新幹線が走る橋が架かる。疾走する姿に旅への思いが募り、「早く安心して出掛けられる日を」と願う。