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 「広島市内は、損害甚大なり」。水上特攻の任務を負い広島県・江田島で秘密訓練を続けていた陸軍教育隊に、船舶司令部から電報が入った。1945年8月6日の朝だ。「救助作業の出動を準備せよ」と続いた。

 夜にかけて次々現地に送り込まれ、地獄絵図の中を駆けずり回る。終戦を迎え、故郷に戻った彼らの体には被爆の後遺症が現れた。「原爆と戦った特攻兵」(豊田正義著)に詳しい。

 57年、医療費支援が受けられる被爆者健康手帳の交付が始まるが、対象は投下時の「直接被爆者」のみだった。軍の命令で現地に入った元少年兵たちは外されていた。旧原爆医療法の改正で戦後20年目にようやく申請がかなう。そこからさらに半世紀余りの夏、また一歩進んだ。 

 広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」訴訟で、国が認定する地域の外にいて雨に打たれた原告にも、健康手帳の交付を認める広島高裁判決が確定した。放射性物質やほこりを含む雨が降った場所で明確な線引きはできないということだろう。

 霧島市役所ロビーで開催中の「原爆と人間展」をのぞくと、乳児を抱え惨状の広島を歩く母親の絵があった。赤い炎を背景に、一面に斜めの黒い糸が走り「黒雨の中 モオー 目がみえぬ」と添え書きされている。 

 黒い雨を浴びた記憶におびえながら、救済を待つ人たちがまだまだいる。「あの日」は、終わっていない。