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 鉄製の見慣れない機械が、鹿屋市輝北の歴史民俗資料館の片隅に展示してある。1945年4月29日に南九州を襲い、日本軍機に撃墜された米軍爆撃機B29の機銃である。

 米軍の作戦記録によると、この日は朝から計120機以上のB29が鹿屋や国分、都城などの軍飛行場を攻撃した。落ちたのはその中の1機で、乗員全員が死亡した。銃身が少し曲がった黒い機銃は、のどかな山村の空も戦場だった事実を物語る。

 そのころ、B29は日本各地で破壊と殺りくを繰り返していた。墜落すれば竹やりや鎌を持った住民が集まり、米兵の遺体に恨みの一撃を浴びせようとする人もいたという。

 中には生き残った米兵を住民が傷つけたり、軍関係者が殺害したりした記録も残っている。肉親が戦死した人もいたかもしれないし、「鬼畜」と教え込まれた敵兵に情けをかける空気などなかったのだろう。

 だが、輝北ではそんな惨劇は起きなかった。一人の男性の「こうなれば敵も味方もない」という言葉に皆がわれに返ったと伝わる。子どもたちまで米兵に見立てたわら人形を竹やりで突く訓練を受けていた国民総動員体制下。それでも、冷静さを失わない人はいた。

 恐怖や不安に憎しみが加わって人が正気を失っていく恐ろしさを思う。あすは終戦記念日。あの時の男性のように空気に流されずに勇気と人間性を保てるか、自らに問い続けたい。