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 一枚の自画像がある。口ひげを生やした男性が片手にはさみを持ち、自分のぼさぼさ頭を散髪している。仙人を思わせる風貌だ。

 作者は龍郷町出身の画家保忠蔵(1887~1975年)である。実際、世俗にとらわれない自由人だったらしい。同郷の作家出水沢藍子さんは、その伝記「何もいらない」で、気ままに生き、歩き、描いた人と紹介する。

 放浪の画家と呼ばれる。大島農学校(現大島高校)から進んだ東京の大学を中退し、第1次大戦開戦の1914年に日本を離れた。中国やインドなどアジアを転々とし、パリでは美術館に通い絵を学んだ。その後に渡った米国をついのすみかとした。

 反戦画家として知られる。日本が国際連盟を脱退した33年の代表作「切り裂かれた中国地図」は、万里の長城を背景に中国の分割を話し合う大国や日本の指導者を描き、その横暴さを告発する。日中戦争を経て太平洋戦争へと突入していく母国を予見したかのようだ。

 一方で、市井の家族や子ども、田舎の風景なども多く手がけた。龍郷町の「りゅうがく館」が所蔵する20点余りの作品は、どこか温かみのある人間性を感じさせる。

 「戦争の世紀」を生きた画家として、日常のかけがえのなさを絵に託したに違いない。各地で鎮魂の祈りがささげられる戦後76年目の夏、忠蔵の絵は遠のく惨禍の記憶を伝え、平和の意味を問いかけている。