( 8/23 付 )

 車窓を楽しめない地下鉄では中づり広告をよく眺めた。大小の見出しで埋まる週刊誌の広告は、都心の短距離移動の暇つぶしにちょうどいい。記事の中身が気になって書店へ向かったことも少なくない。

 読んでみると、たわいない内容で時には肩すかしを食った。だが、一体どんなスキャンダルかと読者の想像力をかき立てる見出しには感心する。 「…の深い闇」 「巨大利権の悪巧み」といった言葉選びは名人芸と言ってもいい。

 ライバル関係にある週刊文春と週刊新潮が電車の中づり広告を相次いでやめる。表紙に見出しを並べる雑誌が多い中、両誌は絵だけだ。店頭ではなく中づりで競い合っていた印象が強い。一つの活字文化が姿を消すようなもので、やはり寂しい。

 とはいえ、冒頭の風景はもう日常ではなくなった。今は乗客の大半がスマホを見つめている。顔を上げる人はわずかで、広告の効果は目減りした。電子版に宣伝費を振り向けるのも当然だろう。

 早々と中づりをやめた会社も多く、むしろ両誌は粘った方だ。広告スペースは空きが目立ち、代わりに「デジタルサイネージ」と呼ばれる電子看板が幅を利かせつつある。

 デジタル化が進み、電車内の風景は大きく変わった。コロナ禍が去って、再びぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗るとき、通勤のつらさをしばし忘れさせてくれた中づりを懐かしく思うのかもしれない。