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 第2次世界大戦が終わった3年後、英国のストーク・マンデビル病院で車いす患者のアーチェリー大会があった。戦争でけがを負い、下半身が動かなくなった兵士のリハビリである。

 始めたのはナチスのユダヤ人迫害を逃れドイツから来たルートビヒ・グトマン医師。「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」と励まし、社会復帰を目標にした障害者スポーツに人生をささげた。

 アーチェリーは現在、五輪や国内大会で障害者と健常者が対等に戦っており、垣根のないスポーツと言える。グトマン医師もそこに気づいていたのかもしれない。小さな大会は、やがてパラリンピックの起源とされるようになる。

 1960年、初のパラ大会が行われ、今では五輪と同じ都市で開かれている。昨夜の東京大会開会式でともされた聖火は、ストーク・マンデビルと日本各地で採火した炎を一つにした。小さな芽が大木に育ったような歴史の重みを感じる。

 グトマン医師の長女エバ・ルフラーさんも長く障害者スポーツに携わり、9年前のロンドン大会では79歳で選手村の村長を務めた。今大会も「障害を見るのでなく、選手を見てほしい」と話す。

 きょうから最多の約4500人が22競技539種目でメダルを競う。日頃磨いてきた技を駆使して、全力で試合に挑む。その姿勢は半月前に終わった五輪と何ら変わるものではない。