( 10/9 付 )

 もっとお金持ちで優しい親の元に生まれたかった-。そんなぼやきを口にしたことはないだろうか。小遣いは少ないし、勉強しろ、スポーツも頑張れと口うるさい親を疎ましく感じる。大人になれば懐かしく振り返れる日もある。

 最近「親ガチャ」という言葉が若者の間で広がっているという。ガチャとは商店街などで見かける、硬貨を入れてレバーを回すとカプセルに入ったおもちゃが無作為に出てくる販売機のことだ。

 子は親を選べない。そんな意味合いを、何が出るか運任せのゲームになぞらえたらしい。かけがえのない親子の縁をないがしろにするようで引っ掛かるが、うまい例えとも思う。

 なぜこんな言葉が生まれたのだろう。未来ある世代が経済的な格差や家柄による不公平と直面し、諦めたくなる場面が増えたのか。社会の構造的な問題を突いた言葉として共感が広がったのだとしたら見過ごせない。

 人生の分岐点は常にガチャ的な要素と無縁ではない気がする。進学や就職でも本人の能力や志とは無関係に理不尽な扱いを受けることはないか。「自己責任」では片付けられないだろう。

 それで気が晴れるのなら、たまには毒気をはらんだぼやきを口にしても許されよう。だが、厳しい現実を乗り越え、全ての人が希望や目標を見いだせる社会を築いていかなければならない。「親ガチャ」に縛られる人生はあまりに酷だ。