( 10/31 付 )

 店頭で「新米」の文字が目に付く季節になってきた。北薩では田んぼの中にこうべを垂れて刈り取りを待つ稲穂がわずかに残り、晩秋の風景が広がっている。

 選挙では票を稲にたとえ、得票が期待できる地域を「票田」と呼ぶ。衆院鹿児島3区に立候補した2人の支援者たちは公示後、薩摩川内市街地を通る国道3号でのつじ立ちが早朝の日課となった。互いにシンボルカラーののぼり旗を立て、通勤の車に手を振り頭を下げる。

 少しでも多くの“収穫”を願ってこその姿だが、世界ではそれが当たり前ではなくなっているらしい。8月17日付の本紙「オセモコ」欄に、強大な権力を持つ指導者が独断で政治を行う専制主義の国家が増えているとあった。

 北のかの国、その西隣の大国もと指を折るのに苦労しない。こうした国々は選挙そのものがなかったり、政党間競争が制限されたりする。今や世界の半数近くを占めるというから驚きだ。

 これらの国民は選挙があったとしても選択肢が狭められ、自らの意思を票に託すことは難しい。選挙が民主主義の基本であることに改めて気付かされる。

 きょうは衆院選の投票日。「票を投じても何も変わらない」という声を聞くが、わが国は同じ意思がまとまれば政治が動く自由さがある。投票に行かない行為は、苦労して育てたコメを捨てるようなものだ。あまりにももったいないではないか。