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 都道府県の魅力度ランキングに一喜一憂したり、県民性を紹介するテレビ番組が人気を集めたり、故郷への思いは格別だ。鹿児島なら桜島を包む二つの半島と島々からなる地形は自慢の一つだろう。

 今の県域に収まったのは1871(明治4)年の廃藩置県から12年後だった。なにしろ、260余りあった藩をなくし、政府が直接統治する大変革である。当初はしばしば県境が変わり、揺れ動いた。

 そんな中に1年2カ月だけ置かれた「都城県」がある。宮崎県の大淀川以南と大隅半島で、石高は当時の鹿児島県をしのいだというから、いかに大きな存在だったか分かる。都城市役所に立つ「県庁跡」の石碑はどこか誇らしげだ。

 同市の都城島津伝承館で、置県150年記念の特別展が開かれている。6センチ角の県印章や公文書といった品々は、県だった証しにほかならない。とりわけ、初代県参事に任じられた桂久武の「在勤日記」は興味深い。

 幕末の薩摩藩家老だった人物である。着任早々、精力的に県政に当たっている。それなのに程なく「廃県の布告」が届く。理由は分からない。他県への異動を辞退し、西南戦争で没するまで霧島で開拓に従事したあたり、政府に含むところがあったのかもしれない。

 薩摩藩にあって都城島津家の私領として栄えた土地である。今でも交流が盛んな都城と大隅のつながりが歴史からも見えてくる。