[東日本大震災10年] 記憶を記録に残したい
( 3/11 付 )

 あれから10年、上空からのテレビ映像が、今も目に焼き付いている人は多いに違いない。
 真っ黒な津波が大地をはうように押し寄せ、建物をなぎ倒した。逃げ惑う車を追い立て、街はたちまちのみ込まれた。
 過去最大級のマグニチュード(M)9.0を記録し、岩手、宮城、福島を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。死者、行方不明者、災害関連死約2万2000人と、その家族の夢や希望まで押し流した。
 千年に1度の巨大津波は東京電力福島第1原発の事故を引き起こした。旧ソ連のチェルノブイリ原発と並ぶ最悪レベルの事故などによって約4万1000人が全国で避難生活を続けている。
 住宅や道路など社会インフラの整備は進んだが、特に沿岸部の人口減少は著しい。被災者の暮らしや農水産業振興など真の復興にはいまだ程遠い。
 被災地のために何ができるのか。政府の支援は十分なのか。歳月の流れとともに、被災地への関心は薄れ、風化が進む。10年の節目に大震災の教訓を改めて問い直したい。

■労苦を書き留める
 「掘り起こしていくうちに、アルバムや家族団欒(だんらん)の写真、子どもの衣類等が次々と出てくる。『何とか無事に助かっていてくれ』と、いたたまれない気持ちを抑えつつ、写真等は捜しにきた家人の目に留まる場所にそっと移し掘り続けた」
 宮城県南三陸町に緊急消防援助隊として派遣され、行方不明者の捜索に当たった神戸市消防局の隊員が「東日本大震災 消防隊員死闘の記」(旬報社)に書き留めている。
 緊急消防援助隊は1995年1月の阪神大震災を機に創設された。大規模災害などの際、被災地に駆けつける応援部隊だ。
 最近では熊本地震などで出動したほか、南海トラフ地震などを想定し機能強化を図っている。昨年4月現在、鹿児島など47都道府県の約6400隊が登録しているのは心強い。
 福島第1原発に派遣された隊員の任務は、原子炉建屋の使用済み核燃料プールへの放水だった。「今回の任務に対する活動方針は、全員無事で帰ってくること」。指揮隊長の訓示に危険性を切実に感じながら「誰かがやらなくてはならないこと」と自らを奮い立たせた。
 手記からは、隊員らが阪神大震災で応援に来てくれた恩返しの気持ちを込めて必死に活動した様子がうかがえる。使命感に支えられた活動は尊く、被災者の励ましにもなったことを忘れてはなるまい。
 原発事故による避難指示は徐々に解除されたが、放射線量の高い帰還困難区域は7市町村に337平方キロ残る。国と東電が2041~51年に終えるとする廃炉作業のゴールは見えない。
 原子炉格納容器内の溶融核燃料(デブリ)の取り出しは難航し、保管場所の確保も容易ではない。原子炉建屋解体に伴う放射性廃棄物を処分し敷地が再利用可能になるには、かなりの年月を要するだろう。
 政府は来年度からの5年間で福島県の「復興加速」を重点目標に掲げ、事業費を手厚く配分する。原発から再生可能エネルギーへの転換を急ピッチで進め、原発事故の被災者や消防隊員、廃炉に携わる人々の労苦に報いるべきである。

■遺構は国民の財産
 震災の記憶の風化を食い止めるには、震災遺構をどう活用するかも問われる。
 岩手県大槌町の旧役場庁舎では当時の町長と職員計28人が津波の犠牲になった。保存を求める声に対し、「津波の記憶がよみがえる」と反対意見も多く賛否が分かれた。裁判にも持ち込まれ、結局解体された。
 一方、児童と教職員計84人が津波の犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の校舎は震災遺構として整備され、来月にも見学できるようになる。
 学校の防災体制の不備を認めた仙台高裁判決が19年10月に確定したのを機に、国は全国の学校に防災マニュアルの見直しを求めたが、取り組みが遅れている実態も明らかになっている。
 自然災害では高齢者施設の入所者が犠牲になる例も相次いでいる。安全なはずの学校や施設の事前防災を改めて強化しなくてはならない。
 遺構は震災の実像が生々しく残り、教訓を後世に伝える。これまで「震災伝承施設」として登録されているのは270件余り。防災意識を高め、減災にもつながる国民の財産である。
 だが、大震災への関心が年々薄れ、長引く新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけている。来場者が減少し、維持費の確保が難しくなっているという。
 管理する各自治体は見学の有料化や寄付金の募集に取り組んでいるが、国が維持費など支援すべきだろう。“永遠の語り部”としての価値を社会全体で共有し、防災教育にも役立てていかなければならない。