[赤崎勇さん死去] 不屈の信念を次世代に
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 高輝度の青色発光ダイオード(LED)の開発に世界で初めて成功し、2014年にノーベル物理学賞を受賞した名城大終身教授の赤崎勇さん(南九州市知覧出身)が92歳で亡くなった。
 技術的に難しく、実現不可能といわれた青色LEDの開発に挑み続け、実験を重ねた末に成功させた。青色LEDの実現で白も含めた全ての色を出せるようになり、省電力・長寿命のLEDは、今や暮らしに欠かすことのできない技術だ。
 海や山で遊び、持ち帰った石を観察した鹿児島での幼少時代が「科学者としての原点」だ。夢を追い、挑戦することの大切さを、古里の子どもたちにも語り続けてきた。輝かしい功績を残した不屈の信念を受け継ぎ、次世代に伝えたい。
 赤崎さんが青色LEDの研究を始めたのは、松下電器産業東京研究所にいた1964年だ。光の三原色のうち赤と緑はすでに開発されていたが、青は難航しており、「20世紀中は困難」とさえいわれていた。
 赤崎さんが素材として着目したのは、丈夫だが必要な結晶づくりが難しいとされる窒化ガリウムだった。ほかの研究者が撤退しても、「われ一人、荒れ野を行く」の心境で向き合い続けた。ゴールの見えない研究の苦労は並大抵ではなかったに違いない。
 81年に名古屋大に移り、後にノーベル賞の共同受賞者となった天野浩さんと研究に没頭する。1500回を超える実験の末に窒化ガリウムの高品質な結晶化に成功し、89年に青色の光を実現させた。
 青色LEDが完成したときの印象を「何より目に染みるようなコバルトブルーの光。一生忘れることはない」と話している。ひたむきな努力が実を結んだ瞬間だった。
 「私は鹿児島に育んでもらった」と語り、古里への愛情は人一倍だった。入院していた病室にも、母校の甲南高校(鹿児島市、旧制鹿児島二中)に建てられた記念碑や桜島の写真が飾られていた。「もう一度、鹿児島に帰りたい」という願いがかなわなかったことは、残念でならない。
 郷土への温かなまなざしは、鹿児島で育つ子どもたちにも向けられた。
 母校の鹿児島市の大龍小学校には、ストックホルムのノーベル博物館に寄贈したものと同じ、青色LEDの仕組みを示す装置などを贈った。学校は展示品を並べた「ノーベル賞の部屋」を設け、毎年12月に児童から発明品のアイデアも募集している。大先輩に続く発明の種を育ててほしい。
 赤崎さんは若い世代に「好きなことなら失敗しても続けられる。好きなことをやりなさい」の言葉を伝えて励ました。諦めない心で信じた道を歩み続けた「愚直一徹」の研究者人生だった。