[普天間合意25年] 返還はいつになるのか
( 4/13 付 )

 日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に合意して25年がたった。
 当初5~7年で全面返還を実現するとしたが、名護市辺野古への移設計画は長期化し、完了は2030年代以降とされる。住宅や学校に囲まれ「世界一危険」と言われる普天間の返還まで、さらに10年もかかることは許されない。
 早く返還できるように、政府は辺野古とは切り離して米政府と交渉することを含め、あらゆる可能性を探るべきである。
 普天間の返還は、1996年4月12日、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が官邸で発表した。県内への代替施設確保が前提で、政府は99年12月に辺野古移設を閣議決定した。
 その後、民主党の鳩山政権が「最低でも県外」を掲げ、混乱を招いた。2004年8月には隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落。県民の反発が高まり、19年2月の県民投票は辺野古反対が7割超に上った。
 それでも両政府は方針を変えない。先月、菅内閣とバイデン米政権が初開催した安全保障協議委員会(2プラス2)で、辺野古移設を普天間固定化回避の「唯一の解決策」と確認し、可能な限り早期に建設を終えると申し合わせた。
 ただ、移設工事は遅々として進んでいない。沖縄防衛局によると、沿岸部埋め立てに使う土砂投入の進捗(しんちょく)率は先月末時点で約5%にすぎない。
 埋め立て予定地で軟弱地盤が見つかり、大がかりな地盤改良が必要となったのも一因だ。工期は当初の5年から約9年3カ月に延び、総工費も約2.7倍となる約9300億円に膨らんだ。
 辺野古に固執したままでは普天間返還は遅れるばかりだ。県民の声を無視する形で工事を強行するのはなぜか。普天間の危険性除去という原点に立ち返って議論を進めるべきではないか。
 一方、この25年で日本周辺の安全保障環境は激変した。
 中国は空母や対艦ミサイルの配備を推進し、軍事力を格段に強化した。米国は、朝鮮半島有事や米中間の緊張が高まる台湾海峡情勢をにらんでいる。国際情勢は刻々と変わり、25年前の安保政策が通用するのか検証も必要だ。移設がさらに長引けば、辺野古の戦略的価値は不透明になる可能性もあるだろう。
 玉城デニー知事は、県民投票の結果を後ろ盾に工事中止を求めている。来年が本土復帰50年に当たるのを踏まえ、沖縄に約7割が集中する在日米軍専用施設の面積について、当面は50%以下を数値目標として実現するよう日米両政府に求める考えも打ち出した。
 政府は普天間に加え、県内全ての米軍基地を少しでも減らせるよう米政権との交渉に臨むべきである。