[沖縄復帰49年] 犠牲をまだ強いるのか
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 沖縄はきょう、日本復帰から49年を迎えた。
 1952(昭和27)年にサンフランシスコ講和条約で主権を回復した日本から切り離され、沖縄は軍事拠点化が進んだ。県民は本土復帰運動で基地の撤去を求めたが、かなわぬままの復帰だった。
 安全保障上の負担を沖縄に押し付ける構図は半世紀がたとうとする今も変わらず、在日米軍専用施設の約7割が集中する。戦争の爪痕がいまだに残る沖縄に、今後も犠牲を強いることは許されない。政府は基地縮小と負担の軽減に向けてあらゆる可能性を探り、打開策を見いださなければならない。
 米軍政下の沖縄では、米兵による6歳女児の暴行・殺害事件、児童ら17人が命を落とした米軍機の小学校への墜落事故などが起きた。繰り返される悲劇に本土復帰を求める声が強まり、72年に実現した。
 かつては基地に依存していた沖縄経済は変容しつつある。県によると、軍用地料など基地関連収入が県民総所得に占める割合は2017年度6.0%で、復帰当時の15.5%から大幅に減った。米軍居住区だった那覇市の新都心地区など、先行して返還された跡地には再開発で大きな経済効果を生んでいるものもある。
 一方、復帰後も米軍絡みの事故や事件は後を絶たない。04年、米軍普天間飛行場に隣接する沖縄国際大に大型輸送ヘリコプターが墜落した。17年には落下したヘリの窓が普天間第二小の運動場を直撃した。昨年10月末以降だけでも飲酒運転などによる米軍関係者の摘発は20件を超えている。
 しかし、日米両政府から具体的な対策は示されず、日本側に不平等との指摘がある日米地位協定改定の動きもない。沖縄県側の不満は高まっている。
 玉城デニー知事は今年2月の県議会で、「当面、全国の50%以下を目指す」と数値目標を設定して、日米両政府に基地縮小を働き掛ける意向を表明した。基地の運用には地元の理解が欠かせない。政府は沖縄の声として真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 だが、政府は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に固執し、振興策を掲げて協力を得ようとしている。こうした「アメとムチ」の強引な手法は、賛否による分断をもたらしかねない。沖縄の自治をないがしろにしているという批判があるのも当然だろう。
 米中対立が深まる中、沖縄は軍事拠点として重要性が強調され、自衛隊配備も強化されている。しかし、沖縄・尖閣諸島や台湾を巡る軍事衝突が起きれば戦闘に巻き込まれてしまう。太平洋戦争の沖縄戦で本土防衛の「最前線」とされた地を再び国際的対立の最前線にしてはならない。政府には緊張緩和を働き掛ける外交戦略を求めたい。