[東京五輪開幕] 記憶に残る安心安全を
( 7/22 付 )

 新型コロナウイルスの影響で1年延期された東京五輪が、あす開幕する。
 多くの国民が危惧していた通り、感染は収束していない。「第5波」に見舞われている東京都は緊急事態宣言下にあり、まさに異例の大会となる。
 1964年以来、日本で2度目となる夏の五輪は、本来ならば多くの国民が、ボランティアや観客として自国での開催にかかわる喜びを味わっていたはずだ。だが、ボランティアは辞退が相次ぎ、開閉会式も競技も、会場はほぼ無観客である。祝祭感の乏しさは否めない。
 中止を求める国民の声が消えない中、政府や組織委員会などは開催に踏み切った。組織委は、入国した選手らの行動範囲を選手村や会場に限定する「バブル方式」を中心に感染を防ぐ方針だ。だが、選手らの感染も増えており、無事に競技が実施できるか不安が募る。
 感染拡大を起こさず「安心安全な大会」として世界の人々の記憶に残せるか。政府や組織委の実効性のある対応が問われている。

■大義はどこにある

 東京五輪は、世界から約1万人のアスリートが集い、史上最多の33競技339種目が行われる。
 日本での開催意義は当初、「東日本大震災からの復興」を世界に示すこととされた。しかし、コロナの影響で延期された後に就任した菅義偉首相の言葉は変遷した。
 「完全な形での開催」を主張して1年延期した安倍晋三前首相を引き継ぐように、昨年10月の所信表明では「新型コロナウイルスに打ち勝った証し」と発言。だが、感染収束が程遠い状況になると世界の団結や共生社会へのアピールへと変わった。
 政府が五輪開催に突き進む一方で、国民は長い自粛生活に疲弊している。なぜ五輪だけが特別なのか、という疑問に政府は答えられていない。大会の大義が明確でないまま開幕を迎える現状は、非常に残念だ。
 東京五輪は、国立競技場の建設計画白紙撤回や、エンブレムの盗用疑惑などさまざまな問題に見舞われてきた。直前にも開会式の楽曲担当者が過去のいじめ問題で引責辞任に追い込まれており、トラブル続きだったと言っても過言ではない。
 最大の誤算は新型コロナのパンデミック(世界的大流行)だろう。開催や観客数を巡って、決定まで混乱を極めた。
 開幕の約1カ月前に行った共同通信社の世論調査でも「中止すべきだ」が30.8%、「無観客で開催すべきだ」は40.3%に上る。感染医療の専門家らも、開催するなら「無観客が望ましい」と提言した。
 それでも開催と有観客にこだわる政府は6月下旬、原則定員の50%以内で最大1万人と決定。一転して無観客を余儀なくされたのは、東京都の4度目の緊急事態宣言が決まった、開幕のわずか2週間前である。
 チケット購入者を含め、多くの関係者が振り回された。政府の見通しは甘かったと言わざるを得ない。
 大会の感染防止は水際対策と入国後のバブル方式、感染者が出た場合の対処などが基本だ。だが、行動制限はうまくいかず、選手・大会関係者の感染や濃厚接触者も増えている。
 選手の感染状況によっては競技中止などの決断も必要だ。組織委の責任ある対応を望む。

■テレビ通し声援を

 波乱の大会ではあるが選手たちは1年延期という苦難を経て、大舞台の切符を手にした。想像を超える不安とそれを乗り越える努力があったことだろう。
 日本選手団はベテランから若手まで、これまでで最も多い583人。陸上男子の山県亮太選手が主将、卓球女子の石川佳純選手が副主将を務める。開会式が行われる国立競技場に観客の姿はないが、どうか胸を張って入場してほしい。
 鹿児島県出身や県内を拠点とする選手も10競技12人が選ばれている。
 マラソン女子の一山麻緒選手や柔道女子の浜田尚里選手、セーリング男子の外薗潤平選手らが、郷土の期待も背負って競技に臨む。全員が大会を楽しみ、鍛錬の成果を遺憾なく発揮してくれたらいい。
 残念ながら、会場で直接声援を届けることは難しい。テレビなどでの観戦が中心となるのはやむを得まい。画面越しでも、健闘を後押しする思いは必ず伝わるはずだ。鹿児島からも精いっぱいのエールを送ろう。
 3月25日に福島県をスタートした聖火は約1万人のランナーが47都道府県をつないできた。いよいよあすの開会式で国立競技場の聖火台にともされる。
 限界に挑むアスリートたちの姿は東日本大震災をはじめ、全国で相次ぐ自然災害の被災者を勇気づけてくれるに違いない。コロナ下の閉塞(へいそく)感を打ち破ってくれる大会を期待したい。