[五輪閉幕へ] 開催の意義 総括したい
( 8/8 付 )

 東京五輪がきょう閉幕する。新型コロナウイルスの感染拡大で、大会史上初めて1年延期された上、ほぼ無観客で行われた異例の大会だった。
 日本は最多だった前回を上回るメダルを獲得した。金2個の鹿児島県勢をはじめ、力を尽くした選手たちに敬意を表したい。
 だが、歓声と拍手がまばらな開会式や競技会場に祝祭ムードはなかった。それでも開催に踏み切った背景と向き合い、今後の五輪の在り方を模索していかなければならない。
 当初、開催の意義として掲げられた「復興五輪」として、世界中の人たちに福島県など東日本大震災の被災地をはじめ、全国各地へ足を運んでもらう狙いもあった。ところが、新型コロナが猛威を振るっていろいろな国の人々と直接触れ合う機会は失われ、大会の意義はすっかりかすんでしまった。
 東京が緊急事態宣言下にある中での開会式や各競技会場は、誰もいない客席の空虚感が際立った。高度なプレーや、敵味方が健闘をたたえ合う姿に対しても、会場からほとんど反応がないのは五輪本来の体を成していないように見えた。
 「開催ありき」で強行された背景には、主催者の国際オリンピック委員会(IOC)が放映権料や企業からのスポンサー料に頼って運営していることがある。中止・延期を求める声が根強かった国民感情を軽視したと批判されても仕方がない。
 関連支出を含め3兆円に上るともされる巨額の開催費用や商業主義化が露呈した大会だった。IOCは裏方に徹し、選手はもちろん市民が主役の大会こそ五輪本来の姿に違いない。
 コロナ対策も不十分さが目立った。大会組織委員会は、選手村を外部と遮断するバブル方式で感染防止を目指したが、感染者は相次いだ。
 こうした中、菅義偉首相の言う「自宅でテレビ観戦を」は、すんなり受け入れられただろうか。選手だけでも約1万1000人が来日しながら、国民に外出自粛を要望するのには矛盾を感じざるを得なかった。「安全、安心な大会」だったのか総括しなければならない。
 一方、今大会では試合前に、人種差別への抗議を示すポーズが一部選手たちに広まった。同様の行動を許していなかったIOCは、今回は国や組織、個人を標的にしないことなどを条件に容認した。
 このような行為はスポーツの祭典にふさわしくないといった声があるかもしれない。しかし、世界が注目する場で選手たちのアピールが共感を得られれば、差別や紛争の解決に道が開けるのではないか。
 「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」。五輪憲章がうたう理念を改めて胸に刻みたい。