[東京パラ閉幕] 社会見つめ直す契機に
( 9/7 付 )

 東京パラリンピックは13日間、162カ国・地域と難民選手団の約4400選手が参加し、539種目に及ぶ全競技を無事に終えた。
 新型コロナウイルスの影響で1年延期となり、緊急事態宣言下で原則無観客の開催となったのは残念だった。とはいえ障害者スポーツに対する理解は深まったはずである。
 大会を一過性とせず、より有意義なものにするためには、障害のある人への偏見や思い込みを排し、差別のない社会の実現を問い続ける必要がある。
 生まれながら障害のある人も、病気やけがで身体的な運動が制限されるようになった人もスポーツに親しみ、高い競技レベルを目指していた。そうした活躍を新聞やテレビが連日報じ、多くの国民が目にした。自国開催の意義はあったに違いない。
 日本は初の金メダルなしに終わった前回のリオデジャネイロ大会から巻き返し、金は13個。メダル総数は史上2位の51と健闘した。
 パラリンピックの意義に共感する多くの有力企業が「アスリート雇用」に乗りだしたことも背景にある。一方、地域に根ざした支援の中で競技力を向上させた選手も目立った。
 競泳で二つの銀を獲得した日本選手最年少、新潟県の中学3年山田美幸選手は生まれつき両腕がなく、両脚の長さが異なり電動車いすで生活する。ボッチャ個人で金に輝いた杉村英孝選手(伊豆介護センター)は、寝返りも打てないほど脳性まひの障害は重い。
 国や企業による選手支援が資金面でも指導面でもさらに拡大することが期待される一方、こうした地方で練習する選手にもサポートが行き届くように目配りが大切だ。
 さらに障害者スポーツの裾野が広がり、多くの障害者が喜びと生きがいを見いだせる環境を整備していくことが必要である。障害者と健常者が一緒になって競うボッチャ大会などが各地にあってもいいのではないか。
 脳性まひがある小児科医の熊谷晋一郎・東京大学准教授は、障害とは個人の体や機能に起因するものではなく、社会環境と個人に生じるミスマッチのことと説く。
 コロナ下では移動が制限され、誰もが「障害者」となった。個人が社会に合わせるのではなく、困難を元に世の中のルールを見直していくという価値観に転換できれば、大会のレガシー(遺産)になるという。
 今、解決すべきミスマッチが社会には山積しているのではないか。大会を機にあらゆる観点から検証し、改善する必要がある。
 障害のある人、ない人が分け隔てなく暮らすことのできる環境づくりに向けて、取り組みを強化しなければならない。