[日米開戦80年] 同じ道を歩まぬために
( 12/8 付 )

 太平洋戦争の発端となった旧日本軍による米ハワイの真珠湾攻撃からきょうで80年になる。
 奇襲攻撃で戦艦アリゾナなどを沈没させ、大きな戦果を上げた。だがその後戦況は悪化、1945年8月の敗戦まで多大な犠牲を生んだ。
 日本各地での空襲や沖縄戦を経て広島と長崎に原爆が投下される。日中戦争以降の日本人戦死者は軍人と一般国民合わせて約310万人に上る。
 日本が戦争への道に突き進んでいった当時の状況をたどり、同じ過ちを繰り返さないための教訓としたい。
 真珠湾攻撃に加わった旧日本海軍の「特殊潜航艇」5隻に20代の10人が搭乗し9人が戦死した。その中に鹿児島市出身の横山正治少佐がいる。
 横山がモデルの小説「海軍」を書いた作家獅子文六は、横山の絶筆「初陣の感想」を随筆に書き留めている。
 「開戦劈頭(へきとう)の第一撃を加え得る光栄」「今必勝の信念を持し」
 当時、歌人斎藤茂吉は<生死(いきじに)のさかひを越ふとたはやすく吾さえ言へど涙しながる>と詠んだ。命に代えて「一撃を加え」た若者らに感激したのは茂吉だけではあるまい。
 当時の国民のほとんどは侵略戦争といった意識はなく、米国からの石油輸入が絶たれるなど包囲され、自衛のための戦争と受け止めていたとされる。緒戦の勝利に日本中が沸いたのは無理のないことだったのかもしれない。
 大本営が戦死した9人の経歴を翌42年3月に発表すると、新聞はこぞって「軍神」と書き立て、9人は国民的英雄としてたたえられた。戦意はいや応なく高まっただろう。
 だが、その背景には言論や情報の統制がある。潜航艇の搭乗員10人のうち1人は生き残って米軍の捕虜となったが、隠蔽(いんぺい)された。国民の士気を下げると判断したからに違いない。
 38年公布の国家総動員法は新聞・出版物への記事掲載を制限・禁止できると規定した。戦時中、戦況の悪化など不都合な情報は公にされなかった。政府の意のままだけで政治が動けば、国が誤った方向に進む。
 翻って今の政治はどうか。安倍元政権は特定秘密保護法、集団的自衛権行使を容認する解釈改憲と安全保障法制、いわゆる「共謀罪」法などを少数派の意見に耳を傾けず「数の力」で押し切り成立させた。言論の自由が脅かされる事態を招かないか危惧する。
 さらに、コロナ禍では自粛警察という同調圧力が社会現象になった。任意のワクチン接種が強制であるかのような雰囲気が醸成された。こうした「空気」が世論を形づくる危うさは、戦争から学ぶべき教訓ではないか。 
 情報公開と自由な議論こそ民主主義の基本である。軍を後押しした新聞の責任の大きさも改めて胸に刻みたい。