[沖縄復帰50年] 「平和の島」実現したい
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 「『基地のない平和の島』の実現に一層取り組むこと」
 沖縄県の玉城デニー知事が日本復帰50年の節目に発表した建議書の一節だ。「基地のない平和の島」は復帰前年の1971年、米統治下の琉球政府が日本政府に求めた「復帰措置に関する建議書」に同じ表現がある。
 先日、沖縄選出の国会議員として初の閣僚を務めた故上原康助氏が執筆していた沖縄独立論の草稿が見つかった。97~98年に書かれ、日本から独立するにはどのような課題があるかを幅広く考察した内容だ。
 復帰から四半世紀後に独立の可能性が検証され、今なお平和への願いを込めた建議書が作られるのはなぜなのか。
 沖縄県知事を務めた故大田昌秀氏はかつて、沖縄の幸、不幸は「本土在住の一般国民が沖縄の問題をどう認識し、どう関わるかによってもろに左右される」と語っている。
 沖縄の日本復帰から今日で50年。国民全体で現状を見つめ直し、県民の切実な声に向き合う機会にしなければならない。

■意識の違い際立つ
 太平洋戦争後の52年に、日本はサンフランシスコ平和条約発効で独立を回復した。だが県民の4人に1人が戦争の犠牲になった沖縄は、米国の施政権下に置かれる。
 住民は、基地建設に伴う強制的な土地収用や米兵による事件・事故に苦しめられ、「平和憲法下の日本」への復帰運動が盛り上がった。
 71年の建議書は、米軍基地撤去のほか、地方自治権の確立などを骨格に書かれた。だが、国会提出直前に、基地を残す返還協定が衆院特別委員会で強行採決された。沖縄の声が尊重されたとは言い難い状況だった。
 玉城知事は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の断念や日米地位協定の抜本的見直しなどを求める新たな建議書を岸田文雄首相に手渡した。だが、会談はわずか15分で非公開。「魂を込めて」(玉城氏)沖縄が示した内容を、国は真摯(しんし)に受け止めてもらいたい。
 復帰後も基地の多くは沖縄に残った。米軍専用施設面積は、復帰時の約278平方キロから2022年には約184平方キロに減少。しかし、本土での整理縮小が進み、全国に占める割合は58%から70%になり、集中度は増している。
 基地経済への依存度は復帰時の15.5%から18年度には5.1%に減った。一方、1人当たりの県民所得は全国最下位から抜け出せていない。自立は道半ばと言えよう。
 最大の課題は、沖縄の抱える懸案が日本全体で解決すべき問題として認識されていないことではないか。
 共同通信社の全国世論調査では、沖縄県の基地負担が他の都道府県と比べて「不平等」と答えた人は、「どちらかといえば」を含めて79%に上った。米軍基地の一部を県外で引き取るべきだとの意見に58%が賛成したが、自分が住む地域への移設となると反対が69%を占めた。
 過重な基地負担を理解しつつ、地元での受け入れには抵抗を示す意識がうかがえる。
 沖縄と本土の対立の構図にしてはならない。現状を知る努力を怠ることなく、関心を寄せ続け、ともに考える姿勢が欠かせない。

■魅力生かし振興を
 普天間飛行場の辺野古移設では、19年の県民投票で7割が埋め立てに反対したにもかかわらず、工事が継続されている。
 政府は普天間飛行場の危険性除去を理由に「辺野古移設が唯一の解決策」の一点張りだ。工期や総工費、必要性について、沖縄県民を含めた国民に、丁寧に説明を尽くすべきだ。
 アジアの結節点でもある沖縄は、豊かな自然と特色ある文化を持つ魅力あふれる地域だ。昨年7月、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」が世界自然遺産に登録された。奄美とも連携し、生物多様性などの価値を世界に発信していくことが期待される。
 一方、観光に次ぐ新産業が育っていない側面は否めない。
 政府は今後10年間の沖縄振興の根拠となる改正特別措置法を4月に施行し、それに基づいた新たな基本方針を決定した。自立的な発展のため、競争力のある産業を振興し、民間主導の経済発展を目指す内容だ。
 沖縄振興の予算は近年、県政を懐柔する政治の「道具」の一面が強まったとも指摘される。辺野古反対の知事が就くと予算が減額される傾向は、政権の思惑で県政を翻弄(ほんろう)しているといわれても仕方あるまい。
 衆院は復帰50年の決議で、米軍基地の負担軽減は政府の責務だと強調。沖縄を「世界の平和と安定のための創造拠点」とするよう最大限の努力を求めた。
 単なるメッセージに終わらせてはならない。実現に向けて国が具体的に行動することを強く望みたい。