[安倍元首相銃撃] 言論封じる卑劣な暴力
( 7/9 付 )

 いかなる理由があっても、暴力で言論を封じる卑劣な行為を許してはならない。
 安倍晋三元首相がきのう、奈良市で参院選の街頭演説中に背後から銃撃された。心肺停止の状態で病院に救急搬送されたが、同日夕に亡くなった。
 銃撃された現場は駅近くの商業施設などが立ち並ぶ人通りの多い一角だ。投票日を2日後に控え、周辺にいた多くの聴衆をも恐怖に陥れたに違いない。社会不安につながる行為であり、怒りを禁じ得ない。
 奈良県警は、奈良市の元海上自衛隊員で、職業不詳の41歳の男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕。銃も押収した。
 蛮行に至った原因は何なのか、凶器とされる銃をどうやって入手したのか。背景を徹底的に解明する必要がある。
 容疑者は容易に安倍氏のそばまで近づいたように見えた。街頭演説の場は不特定多数の人が集まり、警察当局の警備にも難しさはある。とはいえ、不備はなかったのか。今後の体制にも課題を残したといえよう。

■犯行の経緯捜査を

 安倍氏は参院選候補者の応援のため、連日全国を遊説。昨日は奈良市で演説した後、京都や埼玉を訪れる予定だった。
 事件発生直後から、自民党だけでなく、野党党首らからも非難の声が上がったのは当然である。
 岸田文雄首相は街頭演説の日程を急きょ切り上げた。遊説先の山形県から官邸に戻り、「最大限の厳しい言葉で非難する」と述べた。
 立憲民主党の泉健太代表は「こんなことは絶対許されない」と自身のツイッターに投稿、共産党の志位和夫委員長も街頭演説で「言論を暴力で圧殺することは絶対に許してはならない」と語った。
 それぞれの政治的な主張は異なっていても、政治家の発言が暴力で封じられてはならないという考えに変わりはないはずだ。民主主義の基本である言論・表現の自由を守る意志をあらためて共有したい。
 政治家に対する襲撃は、これまでもあり、現役の首相や大物政治家が暗殺された。
 2000年以降でみても、02年に石井紘基衆院議員が東京の自宅前で右翼団体代表の男に刺され死亡した。07年には伊藤一長・長崎市長がJR長崎駅前で暴力団幹部の男に狙撃され、翌日亡くなった。伊藤氏の事件は、市長選の選挙運動中に駅前で起きた点が似ている。
 1932年、武装した海軍の青年将校らが官邸に乱入し、犬養毅首相を殺害した五・一五事件では、暴力を容認する時代の空気が広がった。政治家の命を狙う行為は人心の抑圧にもつながりかねない。
 今回の容疑者は「安倍元首相の政治信条に対する恨みではない」と供述しているという。
 政治的な背景があるのかどうかは、今後の捜査を待たなければならない。もし何らかの反発があったとしても、それを暴力に訴えていては社会が成り立たないのは言うまでもない。
 警察は、犯行に至った経緯などについて、捜査を尽くしてもらいたい。

■党内に強い影響力

 安倍氏は2006年、52歳の若さで第90代首相に就任、初の戦後生まれの宰相となった。07年の参院選で惨敗し、与野党逆転を許した。健康状態の悪化もあって辞任。12年の衆院選で政権奪還を果たし、首相に再登板した。
 在任期間は合計で歴代1位の長期政権で、12年の衆院選以降、安倍氏の下での国政選挙は6戦全勝している。安倍派の会長として党内への影響力は大きく、今回の参院選で応援弁士として連日各地を回っていたことも、人気の高さの表れである。
 母方の祖父が岸信介元首相、父方の祖父が安倍寛元衆院議員、父は安倍晋太郎元外相という政治家一家に育った。
 保守・タカ派色の強い路線の推進でも知られた。14年に集団的自衛権行使容認を閣議決定、15年には安全保障関連法を成立させた。戦後日本の安全保障政策の大転換を図ったことに対しては、賛否双方の意見がある。
 長期政権の中では、各国首脳との交流など、活発な外交も目立った。
 米国のトランプ前大統領と関係を深め、ロシアのプーチン大統領との直接会談は通算27回に上った。今後の外交の発展や問題解決にも一役買いたかったはずだ。
 経済面では、デフレ脱却と経済再生を目指す「アベノミクス」を推進。一方、森友、加計学園問題や桜を見る会などでは、丁寧な説明を欠いた面は否めない。
 参院選の投票日があすに迫る。選挙は日本の民主主義の根幹である。異なる意見があっても、冷静に戦わせることのできる社会づくりについて、いま一度考える機会ともしたい。