[ヘリ飛行再開] 最優先は米軍の運用か
( 12/21 付 )

 事故後1週間足らずの飛行再開に、多くの地元住民が納得できないのは当然だ。
 米軍は沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校に操縦席窓を落下させた大型輸送ヘリコプターの飛行を、事故から6日後に再開した。
 沖縄県が求めた沖縄の全米軍機の緊急点検と飛行中止は受け入れられなかった。「人的ミスが原因。構造的な問題は見つからなかった」というのが米軍の説明だ。
 宜野湾市の佐喜真淳市長は「市民の不安が払拭(ふっしょく)されない中で非常に遺憾だ」と語った。子どもの安全を脅かされた住民の心情を考えれば、市長の憤りは理解できる。
 だが、政府は「米軍が飛行再開のための(必要な)措置を取ったと判断した」と容認した。
 事故の原因究明と再発防止策を米軍に全面委任するような姿勢に疑問を禁じ得ない。住民の安心安全よりも米軍の運用を優先したも同然である。
 宜野湾市は日米両政府に学校上空を飛ばないとの確約を求めている。防衛省と在日米軍は「最大限可能な限り避ける」ことで合意した。日本政府がこれを米軍の再発防止策と位置付けているのなら、あまりに安易すぎる。
 小野寺五典防衛相は、合意違反があれば「直ちに米側に申し入れる」と言うが、罰則の取り決めはない。
 日米両政府は普天間飛行場周辺の三つの飛行ルートで合意しているが、恒常的なルート逸脱を沖縄県は指摘している。実効性のない合意をいくら増やしても、地元への安心材料にはなるまい。
 普天間飛行場周辺の小・中・高・大学は少なくとも18カ所に及ぶ。米軍が飛行回避の合意を順守するか、国は継続的に監視する責任がある。
 落下事故後、普天間第二小などに非難の電話が相次いでいる。「学校をどかすのが筋だ」「事故はやらせだろう」といった内容だ。
 1945年の沖縄戦で旧宜野湾村は戦場になり、米軍が滑走路を造った。追いやられた住民は戦後、仕方なく飛行場の周辺に住むしかなかった。普天間第二小は80年代に移転案が浮上したこともあるが、基地拡大と一体の計画だったために実現しなかった。
 浮かび上がるのは、こうした経緯への無理解や、沖縄に集中する基地負担を人ごととして容認する無責任な態度である。
 住民への誹謗(ひぼう)中傷はもってのほかだ。在日米軍の運用について日本に管理権のない日米地位協定こそが問題ではないのか。まずは地位協定の見直しの機運を高めていくことが求められている。