[新年を迎えて] 不易流行の精神忘れず
( 1/1 付 )

 一年が過ぎ去り、新しい年を迎える頃になると思い浮かべる句があります。
 <去年(こぞ)今年(ことし)貫く棒の如きもの>
 句の作者は高浜虚子。去年今年は過ぎ去った年を振り返り、年を惜しむとともに新しい年を寿(ことほ)ぎ、この年への期待を込めた思いを言うものと歳時記にあります。
 無造作な表現にみえて、貫く棒の如きものの力強さ、自信のようなものに圧倒されます。
 なぜ、このような句が生まれたのか。俳人の長谷川櫂さんの著書にあるように、虚子が「闘う人」だったからでしょう。
 後ろ盾だった師の正岡子規を失い、虚子は明治、大正、昭和の困難な時代を歩いて行く。その足跡が近代俳句の歴史に重なります。
 見逃してならないのは、虚子の揺るがぬ姿勢とともに、そこに流れる「不易流行」の思想ではないかと思うのです。
 子規がそうだったように、先人の業績に新しい空気を吹き込む。その精神は俳句の世界にとどまらず、あらゆる世界に通じるものではないでしょうか。
 いつの時代も行く末を見通すのは容易ではありません。だからこそ、来し方を見つめ、変わらないもの(不易)に新しい要素(流行)を加味することが、次の時代を切り開くヒントになるはずです。
 虚子に倣ってこの1年、貫く棒のような心構えで歩んでゆきたいものです。

「平成史」を振り返る
 今年1年は、多くのメディアで「平成の終わり」が取り上げられるでしょう。2019年4月末で天皇陛下が退位し、新しい元号が始まるからです。
 西暦ではなく元号で歴史を振り返る意味はあるのか、という声もあるでしょう。とはいえ、日本人が天皇の代替わりの元号を受け入れてきたのは紛れもない事実。
 平成の30年に及ぶ歳月に光を当て、そこから教訓を引き出して未来につなげる。そうした問題意識を持つことが今、求められていると思います。
 「平成史」(河出書房新社)という本をひもとくと、政治、経済、地方と中央、社会保障、教育、情報化、外国人、国際環境とナショナリズムの8項目に分けて平成が論じられています。
 平成元年は、西暦では1989年。それからの歳月をざっと思い返しても、激動の日々だったことは間違いありません。
 現在史ともいうべき直近の歴史に、果敢に取り組んだ若い学者らの意気込みが伝わってきます。
 世界的にはソ連の崩壊によって冷戦が終わる時期。国内では、いわゆる55年体制が崩壊し、一時的に政権交代も実現しました。
 阪神淡路大震災や東日本大震災などの大災害に見舞われ、地下鉄サリン事件など内外に衝撃を与えた出来事も記憶に残ります。
 重要なのは「平成」を歴史として過去に押しやるのではなく、大震災や福島原発事故などの教訓や意味するものを問い続けることではないでしょうか。

人生100年時代に
 今の日本をとらえるキーワードとして「人口減少」「少子高齢化」は筆頭に来るでしょう。
 歴史の中で日本の人口の推移を見ると、江戸時代後半は3000万人強でほぼ安定。明治維新以降になると急激に人口が増えだし、先の大戦後に7000万人強であった後も同じように増加しました。
 しかし、2004年に1億2784万人でピークに達すると、一転して人口減少に突入します(広井良典著「人口減少社会という希望」)。
 長期的な人口傾向を踏まえた広井さんの見方が興味深い。
 明治以降、日本人は欧米列強に負けまいと、「富国強兵」のスローガンを掲げて、拡大・成長の坂道を登り続けてきました。
 その行き着いたところが敗戦であった後も、「戦争勝利」が「経済成長」という目標に代わっただけで、上昇の坂道を登り続けた。
 だが、この10年あるいは20年は限界に達し、さまざまな形で社会問題となって現れている。
 ではこの先どうするか。人口減少社会への転換はこれまでの右肩上がりの方向から脱し、「本当に豊かで幸せを感じられる社会」をつくってゆくチャンスだというのです。
 最近出版された「孤独のすすめ」で、作家の五木寛之さんは人生100年時代を迎え、今までとは違う生き方が求められていると説いています。
 50歳は人生の折り返し点と覚悟し、自分の衰えを素直に認める。そうすれば、今後生きてゆく上で必要な神経をさらに研ぎ澄ますこともできるのでないかと。
 <目もみえず候(そうろ)ふ。なにごともみなわすれて候ふうへに、ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ>
 これは90歳まで生き、宗教家の中では最高齢者と言える親鸞が85歳の頃に書いた手紙の一部だと、五木さんは紹介しています。
 自分はもう目も見えない。何事もすぐ忘れてしまう。人様に教えを説くような身ではない。自らのありのままの姿を見据えた親鸞。その覚悟に打たれます。
 この1年、少しでも希望を見いだしたい。親鸞には遠く及ばなくても、覚悟を持って進んでゆきたいものです。