2022/12/05 11:00
JAL再建に稲盛さんの存在は絶大だった。でも機内食の試食会だけはあてにならなかった。カレーしか選んでくれなかったから

稲盛和夫さん
■元日本航空会長 大西賢さん(67)
稲盛和夫さんは、もともと日本航空(JAL)が嫌いだったらしい。理由は「上から目線だから」。いつもライバル会社を利用していたという。大手航空会社2社のうち一つが倒れては、日本の空が独占になるからと、再建を引き受けた。
国策会社として始まったJALは、財務や競争の意識に乏しかった。事業構造と企業文化の変革は必須で、京セラからフィロソフィー(哲学)とアメーバ経営の専門スタッフを招いた。
稲盛さんの経営はこの二本柱。後に原発事故を起こした東京電力の再建を託され、断ったとの話を聞いた。もし、受けたとしても同じ二本柱で挑んだのではないだろうか。会社をつくってから50年以上、小さな失敗はあったにしろ、常に勝ち続けた経営者の信念だと思う。
ちょっとした場面のひと言で心構えをたたき込まれた。昼食を挟んだ会議中、唐突に「大西君、この弁当いくらや」と問われ、答えに詰まった。値段を知りたいのではなく採算意識を持てとの意味だったらしい。
細かい数字を指摘したと思えば、急に哲学的な話をする。その振り幅は大きく、宇宙とそろばんを行ったり来たりするようだった。誰に何と言えば効果的に伝わるか、常に考えていた。言葉は研ぎ澄まされ反論の余地がなかった。
一方で、航空業界は初めてだからと、安全対策や運航については私たちに任せ、国の圧力からの防波堤になってくれた。東日本大震災の際、ありったけの航空機を東北へ向けることができたのも、稲盛さんの存在が大きかった。
機内食の試食会だけは、あてにならなかった。どれほど工夫を凝らした料理を並べても、カレーしか選んでくれない。素食を好む稲盛さんらしいと言えるかもしれない。各職場の宴席もスルメなどの乾き物とビールで楽しんでいた。
なぜ私を社長に選んだかは、怖くて聞けないままだった。整備部門出身の私とは技術屋同士で現場好きという共通点があった。JALの異端児だった私の相談に「ええやないか」とよく励ましてくれた。年の差もあって、父親のような存在だった。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)
稲盛和夫さんとの思い出を語る日本航空元会長の大西賢さん=鹿児島市の南日本新聞社
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