2022/12/19 11:00
稲盛さんが気心知れた人の前だけで歌う曲があった。「朝日を拝む人あれど…」 大勢の社員を背負い、歌詞に自分を重ねていたのだろう

稲盛和夫さん
■MTG会長 大田 嘉仁さん(68)
稲盛和夫さんとは、不思議な縁で結ばれていたような気がする。私の出身地は鹿児島市薬師町。同じ町に生まれて、30年近く行動を共にしてきた。初めて親しく会話したのは、1991年に特命秘書になった時。薬師の出身と伝えると「おお、そうか」と笑顔で迎えられた。
稲盛さんには「俺と一心同体でいてくれ」と言われていた。当時は京セラ、KDDI、財団なども率いており、ものすごい仕事量だった。負担を減らすため、私が面会などの一部を引き受け、誰と何を話したか詳細に伝え合うのが日課になった。そのうち「おまえは俺のメモ代わりだから」と、夜や休日もわが家に電話が来るようになり、家族も稲盛さんの声を覚えてしまった。
優しい上司で、細部まで厳しく指導されたが、言葉は温かかった。よく「息子のようなもの」と紹介してくれた。いつも一緒にいて体格も似ていたせいか、実の親子と勘違いされたこともある。
まっすぐで明るく、決して悪口を言わないから、稲盛さんと話すと元気になれた。県人会では、いつも人の輪の中心で、楽しそうに笑っていた。愛きょうもたっぷり。たばこだけは何度も禁煙宣言しながら果たせず「どうせ俺は意志が弱いわ」と、あかんべえをしていたのを思い出す。
そんな稲盛さんが、気心の知れた人の前でしか披露しなかった歌が「串木野さのさ」。「朝日を拝む人あれど、夕日を拝む人は無い」との歌詞に、自分を重ねていたのではないか。大勢の社員を背負う経営者として、朝日のように勝ち続けることを己に課していたのだろう。そして、ただ勝つだけでなく、それが利己的でないか、正しいことか問い続ける姿は、まさに「敬天愛人」を体現していた。
折りに触れて「いつもありがとな、大田」とねぎらってくれた声が耳に残る。時にはネクタイや、あつらえたばかりの背広をぽんと手渡してくれたこともあった。今はその品々を見ながら「ありがとうございます」と感謝するばかりだ。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)

稲盛さんから譲られたペンを手に思い出を語る大田嘉仁さん=鹿児島市
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