奄美群島応援コラム奄美なひとときAmami na Hitotoki


決まってないことを不安と思うか。決まってないから気楽と思うか。ど~っちだ!
3度目の冬がやってきた。
3年前の夏、家族で東京から沖永良部島に移り住んだ。夏の日差しに驚き、冬の体感温度を奪う強風に、島の冬ってこんなに寒いの?なんて戸惑いながら、今では夏の暑さに満足し、短い冬の寒さに満足し、毎日を過ごしている。
沖永良部島への移住のきっかけは、友人の結婚式だった。式で別の円卓に座っていた参加者が、声を掛けてき…


五感を刺激する自然の中へ
~わたしが感じた奄美の魅力~
20年前に胸を張って言えなかったことが、今はためらいもなく言える。「奄美大島出身です」と、少し自慢げに。高校を卒業後、生まれ育った奄美を離れ憧れだった東京へと行く。何もかも....

もし人類が滅亡するなら、その時は奄美にいたい
放射能汚染、人口爆発、世界戦争、地球温暖化……。WWFによると、1970年代からすでに人間の自然資源の消費が地球の持つ生産力を超える「地球の使いすぎ=オーバーシュート」が始....

沖永良部でしかできないプラスαの旅
沖永良部島は、周辺の他の島と同じく、青い海や空、白い砂浜といった癒しの地上世界はもちろん、温かい人々やゆっくりと過ごせる島時間に出会える島です。各島にはいろいろな遊び.....

自分ができる小さな恩返し
私が奄美大島の加計呂麻島に移り住んで、早いものでもう4年が経った。
私は東京生まれで、移住する前は神奈川県の鎌倉に住んでいた。知り合いのつてで加計呂麻を知り、その自然や風土に魅せられた....

月とメッセージ・イン・ア・ボトル
amamiとはイタリア語で「私を愛して」という意味であると、先日聞いた。instagramでは、イタリアの時刻帯の夜になると#amamiのハッシュタグがよく見られるそうだ....

「記憶のなかに生きるシマ」へ
発信します!沖永良部島の「宝」
愛知県の大学を卒業後23歳で結婚、一人目の子どもが産まれ、関西での仕事も家庭も順調だった。休日には社会人サッカーをしたりショッピングを楽しんだり、故郷・沖永良部島の出身者らの....

奄美の自然と文化をディープに感じる
国直集落まるごと体験
私のシマ(奄美の方言で「故郷」の意)は、大和村の国直(くになお)集落。
幹線道路から眺めると、茂みに隠れて見過ごしてしまいそうな小さな集落だが、一歩足を踏み入れると美し....

ぼくが島に住んだ理由
皆さんはシーカヤックという舟に乗ったことがあるだろうか?
それは静かに海辺を漕ぐことができる、細長い流線型をした小舟だ。
はじめて乗る方は、その感覚に驚くかも....

ユライ・ユイ・ユエ
~新しい伝統が生まれる場所~
「ずっとやりたかった事があるっちょやー」
そう言いながら、おじは部屋の奥から1枚の地図を持って来た。ずいぶん古い様子の、黄ばんだその紙にはいろんな矢印や文字が書き込ま....

島の“小さなシゴト”をつくる
2009年秋。東京都心のとあるスーパーの一角で私は目を丸くしていた。地元喜界島で採れたゴマが、オーガニック食品などの流行りのキャッチコピーと共に驚くほどの高値で陳列棚に....

アウトドアを通し「結ノ心」の再認識を
2015年2月14、15日の2日間、奄美初となるキャンプイベント「結ノ島CAMP」を、奄美市住用町の内海公園で開催しました。奄美の豊かな自然と、独自の島の文化を....

海辺の愛と死 ~ミホとトシオの物語~
1945(昭和20)年8月13日、26歳のミホは、奄美・加計呂麻島の闇夜の浜辺をトシオに会うために特攻基地へと向かっていました。この島に基地をもつ海上特攻・震洋隊の隊長である....

「奄美大島らしさ」をデザインで差別化するヒント
私が奄美大島を離れたのは2000年4月。高校卒業後、茨城県の大学へ進学のためだ。島を離れて衝撃的だったのは、奄美大島を知っている人が少ないことだった。
「迫田君って、どこの....

境界線からみる奄美
「私は関西出身の関西育ちですが、母が奄美大島の生まれ。物心付く前から、よく奄美に来ていました。今回は関西出身の私なりの「記憶」をテーマに「南国、奄美大島」の話を書けたらと....

語りたい!島のムンガタイ
「それじゃ、昔ばなしをするよ。みんなもよく知っている笠石の話。笠石公園に古いお墓があるんだけど、そこに昔むかし、死んだ人を食らう大きな猫がいたんだって。」
とある日のわが職場....

生まれたときからハブ屋、これからもハブ屋
自然豊かな島、奄美大島。日本でも有数のマングローブ原生林でのカヌーツーリングや貴重な動植物を見ることができるトレッキングなど、温暖な気候によって作り出されるアトラクションを....

冬も熱い奄美の海
奄美の海は面白い。この島に生まれ育ったことに感謝しつつ、海洋生物に振り回される生活を送っている。その魅力は極彩色に彩られる真夏のサンゴ礁だけではない。これからの季節は....

小さな離島のまち・瀬戸内町に思う
瀬戸内町は奄美大島南部に加計呂麻島、請島、与路島という三つの有人離島を抱える人口9500人ほどの小さな町だ。町役場や主要な公共機関は古仁屋地区にある。小さい頃は....

命の輝きあふれる徳之島の海
奄美といえば、一番に浮かぶのは青く美しい海だろう。島々を囲む海は海岸の形状により、さまざまな「顔」を持つ。年中穏やかな波が打ち寄せる場所や、ごつごつとした岩肌に力強い波が....

のびやかに浮かぶ島・おきのえらぶ島
奄美群島の南に位置する沖永良部島。その海岸線はあまりにもダイナミックだ。サンゴが隆起してせり上がった地形は、見るものを圧倒する。もう一歩踏み出せばそこは断崖絶壁....

違いを楽しむ島暮らし
うがみんしょうらん、というあいさつを聞いたことがありますか。奄美大島の言葉(シマグチ)で「こんにちは」という意味です。
奄美市名瀬の中心市街地、昔ながらの末広市場の一角に....

驚きと感動に満ちた「何もない島」
初めての旅行を喜界島に設定する方はほとんどいないと思う。現に私もそうだった。富山の実家から北海道へ渡り、本州を南下し四国・中国を巡った後は九州を縦断。鹿児島から沖縄へ....

母恋いの島、沖永良部
「母と私を乗せた船が、サンゴ礁エラブの沖に着いたのは、南の風が強い真昼であった。」
このようにはじまる小説「青幻記」。昭和42年に発表され、太宰治賞を受賞した名作です。「青幻記」....

熱い・暑い・厚い トライアスロンの島にようこそ
今年も6月29日、「トライアスロン in 徳之島大会」が開かれる。27年前に始まった大会には、島の”熱さ”に魅せられた鉄人たちが、毎回全国から多数集まってくる。21回大....

水や山うかげ 人や世間うかげ
幼い頃から父はしばしば私に「アマミオオシマ」の話をしてくれた。そこは父方の祖父が生まれ育った島であること、親戚がたくさんいること、そして海がとてもきれいなこと。私にとって....

あなたと行きたい島がある きみに見せたい海がある
飛行機が高度を下げ、島の上空に差し掛かり、着陸のために旋回を始める。窓から下を見ると、そこにはエメラルドグリーンで染められた海と白砂の絶景が....

古き良きものを未来へ繋ぐ
大地に横になり天を仰げば深く透き通るような空が広がり、それを囲むように緑の山々がそびえ、背中からは土の香りと温もりがひしひしと伝わってくる。ここは鹿児島県本土から南へ約380....

島々の"今"を見つめる、まなざしの旅
"ひととき"と呼ぶにはあまりにも濃密で鮮烈な日々だった。北西の風が強く吹き付ける奄美空港に降り立ち、厚く着込んだ防寒着のジッパーを思わず首元まで締めたのは、2013年の2月。縁あ....

神秘の洞窟探検
~沖永良部島の歩き方~
鹿児島から南に536㎞、鹿児島県でも2番目に南の位置に、私が住む沖永良部島(おきのえらぶじま)がある。標高は約240mの山というより丘のような平坦な地形で、この辺りの島々の....

島に託された宝
~アメリカ元大統領の祭壇~
奄美大島の中心地、奄美市名瀬。奄美群島の中心都市として栄えた港町です。その中心地を歩いているとひときわ目につく建物があります。正面玄関と思われる場所の頭上には大きな像があり....

子どもも大人も、村人も旅人も。同じ夕陽を見る。
南国の濃い緑の匂いの立ちこめる山道。車の窓をびゅんびゅん流れる木々の合間から、ふいに山の麓の美しい集落が垣間見える。「あれは?」「国直(くになお)だよ」長い坂を下りながら....

【乗船レポート】フェリーで奄美群島へ行ってみよう
9月初旬の夕方6時、鹿児島新港-利用させてもらったのは、マルエーフェリーが運航する「フェリー波之上」。奄美群島を経由し、鹿児島と沖縄をつなぐ。今回は、奄美大島の名瀬港までの乗船....

闘牛女子、徳之島に憧れる。
私は沖縄本島の中部にある、うるま市石川というところで生まれました。沖縄は徳之島と同じく闘牛が盛んで、なかでも石川は有数の「牛どころ」。私の家も代々、牛を飼っている闘牛一家....

マリアの島の祈り
~奄美大島北部をドライブしよう~
どこまでも澄みきった青空の下、どこまでも青く輝く海。緑の深い山が迫る。奄美大島だ。その島の北部、真夏の風を受けながら車を走らせると、時々、カトリックの教会に出合う。大きな....

My奄美!自分だけの空間を求めて!
~世界に奄美だけの生きものたち~
今から34年前の1979年6月24日、私は奄美大島中央林道の土場(森の木を切り出すための作業場)で、網を片手に仁王立ちしていた。目的は、昆虫採集である....

奄美で一番ぜいたくな旅
私の奄美旅案内は、一泊目を中心地の奄美市名瀬にしない。一泊目は、奄美大島の「奥座敷」である加計呂麻島、または、さらに「大奥」の与路島・請島にする。名瀬は後まわしだ。大都市の喧騒から....

与論島の伝説が近未来小説になった~与論島と森瑶子~
「森瑶子先生は、与論島の守り神です」小説家でエッセイストの森瑶子の文学ゆかりの地を訪ねて、与論島を歩き廻っていたとき、こんな言葉を聞いた。そうかあ、守り神かあ。森瑶子という....

妖怪の住む島々奄美
ガジュマルの木やアコウの木、ソテツの木、へゴの木、マングローブ、大きな葉っぱのクワズイモなど奄美の奥深い静かな森を歩くと、どこからともなくヒュールル、ヒュールル、ケッケ、ケッケ、クッカルル....

加計呂麻島のサタ(黒糖)づくり
~新糖の季節がやってきた~
できたての黒糖を食べたことがあるだろうか? まだほんのりと温もりの残るひとかけらをほおばる。舌の上でトロリと溶けて、黒糖の素朴で力強い香り、凝縮された....

今、注目は奄美群島!
~アンケート結果から“熱い”奄美がみえてきた~
1月25日~27日に、 桜島降灰速報メール の「桜島アンケート」において『今、注目は奄美群島!』というタイトルで奄美群島に関するアンケートを実施しました....

むかし、世界中が戦争をしていた頃のお話
~島尾敏雄と加計呂麻島~
奄美北部にある空港から約一時間で奄美市名瀬。そこで乗り換えて、奄美最南端の古仁屋まで、さらに一時間半。奄美を北から南に移動するバスは、海岸線沿い....

浦島(シマ)太郎物語
~奄美“実話”~
竜宮城に玉手箱とくれば、日本人なら誰でも知っているおとぎ話「浦島太郎」。このお話、まさに日本全国津々“浦々”に伝承が残っていて、鹿児島県でも指宿市の長崎鼻にある....

シマを感じる郷土料理
~鶏飯、油ぞうめん、シマ唄~
奄美大島に移り住んで9年目。沖縄ではない、情報の少ない南の島という物珍しさもあってか、ありがたいことに毎年友だちがほうぼうから遊びに来てくれる。たいがいは初めての奄美....

歌の郷土史
~奄美新民謡の歌われていた頃~
新民謡とは、「大正末から昭和初期にかけて地方の自治体や企業などの依頼によって、その土地の人が気軽に唄ったり踊ったり出来て愛郷心を高めるため、またその地区の特徴・観光地....

奄美浪漫海道 ~カツオ漁に湧いた浜のざわめきが聞こえる~
ネリヤカナヤ…奄美の言葉で海の彼方にある楽園のことである。水平線の向こうに神の国があり、ここに住む神々は五穀豊穣をもたらしてくれるという。ガジュマルの木陰からエメラルド....

田中一村
~知られざる奄美の道~
田中一村。あの奄美での作品群を残したからこそ、私は彼に惹きつけられる。常に孤独という文字を引きずって我々の前を幽かに見え隠れするが、決してその姿を晒すことはない....