奄美群島応援コラム奄美なひとときAmami na Hitotoki


歌の郷土史~奄美新民謡の歌われていた頃~
author: 指宿 邦彦(更新日:2012年10月11日)
新民謡とは、「大正末から昭和初期にかけて地方の自治体や企業などの依頼によって、その土地の人が気軽に唄ったり踊ったり出来て愛郷心を高めるため、またその地区の特徴・観光地・名産品などを全国にPRする目的で制作された歌曲」である。この呼び名の走りとなった曲が長野県須坂の製糸会社の依頼で作られた「須坂小唄」だった。これが全国的にヒットし、以降「○○音頭」とか「○○小唄」といったご当地ソング作りが日本各地に広がっていった。余談ながら、現・静岡鉄道によって制作された「ちゃっきり節」(昭和2年)や、「東京音頭」(昭和8年)も、れっきとした新民謡なのである。
奄美の各時代をシマンチュと共に歩んできた想い出深いメロディ・奄美新民謡を3つの時代に区分けして語りたい。

サキシマスオウノキのように、歌はシマンチュの心に深く根を下ろしている【撮影/犬塚 政志】
昭和初期~戦前の新民謡ブーム期 昭和3年~14年
風光明媚な奄美の自然を謳いあげた牧歌的なご当地ソングとしてシマンチュの記憶に残る歌で、地域(シマ)の景観や産業振興がテーマとなっている。
百合とともに生きてきた花の民には、豊作の年にも不作の年にもいつも歌が連れ添っていた。それが「永良部百合の花」だ。また、この歌を歌うことが、徳之島を語ることとなるPRソング「徳之島小唄」。これらは、それぞれの土地の定番となっていて、ごく一般の人が日常的に愛唱している。今時、子供から年配の方まで共有できる歌があるなんて、ほとんど奇跡のようなもの。特に「島育ち」は、"奄美群島共和国"の国歌と言っても良い。

新民謡の録音風景。筆者は、実家が奄美民謡(島唄)のレコードを制作する老舗であったため、その録音に携わるようになる
戦後・軍政府期 昭和21年~28年
昭和21年から28年にかけて、奄美は米軍政府の統治下におかれ、日本本土との往来もままならない時代を送った。祖国への望郷の思いや明日への活力が歌になった。
【代表曲】
島かげ(曲・福島豊彦/詞・村山家国)
農村小唄(曲・村田実夫/詞・政岡清蔵)
本茶(ふんちゃ)峠(とうげ)(曲・村田実夫/詞・重原源隆)
名瀬セレナーデ、新北風(みいにし)吹けば(曲・村田実夫/詞・永江則子)
日本復帰の歌(曲・静忠義/詞・久野藤盛)
「島かげ」は、祖国への思いを歌った分離期の最初の歌で、以降、多くの歌があとに続いた。日本復帰までの8年間に生れたこの時期の歌は、郡民にとって、特に思い出深いものがある。これらの中でも「農村小唄」は、作曲者の村田実夫氏が奄美各地を巡業して歌い続けた傑作で、歌う前に彼は、こう言っている。
「内地ではりんごの唄が流行っていますが、奄美では『唐(とう)鍬(げ)ぬ軽さ』を歌って、皆さん元気を出してください。」※唐鍬とは、三つ又の鍬(くわ)。
戦が終わり、故郷へ帰って来た男たちが銃を鍬に持ちかえて荒れ地へ挑んだ歌で、「明日は晴れだ」という歌詞に希望と共感があった。その目で見、耳で聴いたものだけが感動となって残っていった時代だった。また、よほどこの時の巡業の印象が強かったのだろうか、地元出身の政岡清蔵氏の作詞という事もあって、宇検村では、今も村歌より知名度が高い「農村小唄」だ。「本茶峠」は、日本から切り離された奄美にありながら「私たちの心だけは、いつも自由なのだ」と作詞の重原源隆氏は語りかけてくれた。龍郷町の本茶峠から眺める喜界島の景色などから歴史やおとぎ話へと広がってゆく名曲だ。また、この頃若者が口ずさんでいた「名瀬セレナーデ」は、奄美版の青い山脈ともいうべき青春賛歌だった。歌のひとつひとつが生き生きと歌われていた時代だ。
それから、新民謡ではないが、「日本復帰の歌」ほど、短期間とはいえ郡民の心をひとつにした歌はなかった。昭和28年12月25日の奄美群島の日本返還でその役目を終えたが、心に残るメロディのひとつだ。

奄美の島々の歌は、独特の歴史が育んだ生活や文化を色濃く映す【撮影/犬塚 政志】
奄美ブーム期 昭和37~38年
昭和37年後半、田端義夫氏歌う「島育ち」がブームとなり、この現象は、「奄美ブーム」へと広がっていった。
以前の新民謡は地産地消型の歌だったが、「島のブルース」は、指笛(ハト)や島太鼓(チヂン)や囃子をふんだんに加え、島外の人たちを意識した構成になっている。また、大島紬がもっとも輝いていた時代であり「はたおり娘」などの歌は、織子たちへのエールとして、なぐさみ歌として彼女たちを中心に愛唱された。
振り返ってみて、シマンチュの人生と重なる歌が奄美には実に多い。「歌うことはおのれの人生を語ることであり、隣人との連帯を確認することである。」そんな新民謡という歌が存在する奄美とは稀有なシマではないだろうか。奄美群島のこれらの歌にスポットライトを当てることは私たちの使命とも思えるのだ。

奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介
あまみんちゅ[no.5]
荒田政行さん(アイランドサービス代表)
自らを"自然体験総合ガイド"と称する荒田政行さん。キャリア19年を誇る奄美のガイド業の草分け的存在だ。「よく旅行客に個人的に島の案内を頼まれることがあって。すると私たちが当たり前だと思っている風景で歓声を上げる。これはと思い、試しにそれまで展望台から眺めるのが常だったマングローブ林にカヌーで入ってみると、それはもう、ものすごい反応で…」。"当たり前"だった自然の価値に気づき、以降、マングローブツアー(右写真)をはじめとした様々な自然体験のツアーを企画してきた。
平成17年には龍郷町にレジャー拠点・ばるばる村をオープン。シーカヤックやシュノーケリング、マウンテンバイクなど、気軽で安全に自然を楽しめるアクティビティが充実している。「豊かな自然があってこそのガイド業。これからもできるだけ自然に負担をかけないプランを考えます」と語る。
夏のレジャースポットのイメージが強い奄美だが、冬にも楽しんでもらえるものはあるはずと、自ら歩き回って作り上げた新しいツアーもまもなくお目見え。亜熱帯の巨木や植物を楽しめるウオッチングツアーとのこと。左は、目玉のひとつアコウの巨木。奄美の自然を存分に味わえるガイドツアーをお試しあれ。(2012年10月25日)
