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浦島(シマ)太郎物語~奄美“実話”~

author: 斉藤 正道(更新日:2012年12月13日)

竜宮城に玉手箱とくれば、日本人なら誰でも知っているおとぎ話「浦島太郎」。このお話、まさに日本全国津々“浦々”に伝承が残っていて、鹿児島県でも指宿市の長崎鼻にある竜宮神社が観光スポットになっています。そして、ここ奄美にも浦島伝説が伝わっています。その伝説を何十年にも渡り研究されてきた内田栄次郎さん(92才・奄美市仲勝町在住)の『竜宮城は中国の宮殿だった』という説を元に、「奄美"実話"」と銘打って奄美版の浦島太郎物語を書いてみたいと思います。

ショチョガマ

奄美群島で数少ない水田風景が広がる龍郷町秋名。ここ秋名では、実りの神は海の彼方からくるとされる【撮影/犬塚 政志】

浦集落(シマ)に住んでいた太郎さん

むかし、むかし。

奄美大島龍郷村の浦集落(シマ※)に太郎という若者が住んでいたそうな。浦シマの太郎は、漁師をしながら、年老いた母親と暮らしておったそうな。

現在の龍郷町の浦集落のこと。奄美では集落のことを“シマ”と呼びます。つまり浦集落は「浦シマ」、そこに住む太郎は「浦シマ太郎」ということになります。

奄美を台風が通り過ぎたある日、太郎が龍郷村秋名(※)の浜辺に行くと、台風で遭難したのだろうか、言葉も通じない見慣れぬ姿の異国人を目にした村人が騒いでおったそうな。

龍郷町秋名集落では、旧暦8月最初の丙の日「アラセツ(新節)」の早朝に「ショチョガマ」、夕刻に「平瀬マンカイ」が行われる。国の重要無形民俗文化財に指定されている稲作儀礼であり、中国の祭祀とのつながりをみることができます。
参考:アジア基層文化研究会|奄美大島秋名のアラセツ-ショチョガマと平瀬マンカイ(図版と映像補遺)

太郎は村人に「言葉は通じないが私たちと同じ人間です。台風は過ぎたがまだまだ海は荒れています。次の船が来るまで私が暮らしている集落で休んでもらいます」といい、異国人たちを太郎の住む浦集落に招いて行ったそうな。しばらくすると異国人たちが、ある王国のお姫様の一行であることがわったそうな。その姫は乙姫といったそうな。

その数か月後、異国(※)よりお迎えの船が奄美大島龍郷村秋名の沖合に来て、乙姫や家来たちを乗せ、太郎や浦集落・秋名集落の人々にお礼をいい、国に帰っていたそうな。

かつては、中国から親善の船が頻繁に奄美群島に来て、その頃の中国で貨幣として使われていた「宝貝」を奄美群島で手に入れていたとされています。つまり異国とは、現在の中国であると推測することができます。




ウミガメ

日本有数のウミガメの産卵地でもある奄美大島。ダイビングやシュノーケリングでウミガメの悠々とした泳ぎを見ることも【撮影/犬塚 政志】

竜宮城は中国にあった

その後、乙姫たちの故郷の国王が「助けてくれたお礼がしたいので、太郎にぜひ王国へ来て欲しい」と幾度となく迎えの船(※)を奄美大島に通わせたとな。

ここで迎えに来た船が、一般的な浦島太郎物語でいう助けたカメに当たると考えられます。

最初は断っていた太郎だったが、幾度も幾度も訪ねて来るので、断りきれず国王や乙姫の招きを受け入れたそうな。数日後、王国に着いた太郎は、奄美で助けた家来たちの出迎えを受け「さあさあ、国王と乙姫様がお待ちかねです。どうぞ奥へ」と宮殿(※)に招かれたそうな。

この宮殿が竜宮城となります。

宮殿内の中央最上段には、国王と乙姫が鎮座し「姫や家来を助けてもらい感謝しておる」と国王がお礼のお言葉を掛けられたそうな。そして国王が合図をすると、太郎が今まで見たことも無いご馳走が運ばれてきて、天女のような衣装の女性たち(※)の踊りや唄や聞きなれない楽器の演奏で歓迎されたそうな。

ここでの天女のような衣装の女性たちが、鯛やヒラメに当たります。

それはそれは、楽しい日々であったそうな。このような日々が数か月たったある日、うっとりしている太郎に乙姫が「このまま、ずっとこの国にいて下さい」というと、太郎はこっくりとうなずいたそうな。




雲間から差し込む朝日

朝日が幻想的に海を照らす。海の彼方には何があるのか…おとぎ話や伝説ではメジャーなテーマである【撮影/犬塚 政志】

玉手箱の中にあったのは…

楽しく過ごすうちに月日が経ち、年老いた母親や奄美大島の浦や秋名の集落の人々のことを思い出すようになった太郎は、国王と乙姫に島に帰りたいとお願いしたそうな。すると乙姫は「太郎さん、あと数年この国で学んでください(※)。そして私たちを助けてくれた奄美大島の人々に学んだことを伝えてください」と言ったそうな。それから太郎は、奄美大島の人々に喜んで貰おうと一生懸命勉学に励んだそうな。

ここで太郎が中国の人々から学んだものは、稲作の技術(現在でも龍郷町秋名集落の稲作は有名)や、約1300年の歴史をもつ本場奄美大島紬(秋名バラ柄、中国で現在も織られている)の工法、建築、土木工法だと考えられます。

奄美大島に帰る日、太郎は「またこの城に戻ってきて下さい」と乙姫にお土産の玉手箱を渡され、送りの船に乗り奄美大島へと船出したそうな。玉手箱を渡された際「この箱には“いろいろなものが見える”宝物が入っています。これを大切にしてください」と言われた太郎は、船の中でも大切に懐に抱き奄美大島に帰ったそうな。

やっと故郷奄美大島龍郷村秋名の海岸に帰島した太郎だったが、知っている人たちが一人もおらず、自分の家も無く、周りの様子もすっかり変わり果てておったそうな。そこで、海辺にいたおばあさんに尋ねてみたそうな。

「この辺りにあった浦シマの太郎の家を知りませんか?」すると、おばあさんは「浦シマの太郎だって?聞いた事があるよ。数十年前、海に出て行って戻ってこなかった漁師だね。」

自分を知る人がいなくなった故郷で、太郎は途方に暮れ、砂浜にしゃがみ込んでしまったそうな。ふと、お姫様から“いろいろなものが見える”と渡された大切な宝物のことを思い出し、玉手箱の蓋を開け中身を取り出して見たそうな。そこにあったのは美しく磨かれた銅鏡と、そこに映った自分の顔だったそうな。

太郎は、白髪頭の老人(※)になっており、自分が故郷を離れていた時間の長さを思い知らされたそうな。その後、太郎は乙姫から言われた通り、自分が学んできた事を生涯奄美大島の人々に伝え続けたそうな。

これでおしまい

通常は、玉手箱を開けたら白い煙が出てきて太郎が突然老人になったというくだりですが、実は銅鏡で年老いた自分の姿を見て驚いたのではないかと考えます。




斉藤 正道(さいとう まさみち)斉藤正道

1952年石川県金沢市出身。東京、金沢で公務員を務め、退職後に観光業に携わり全国各地を巡る。平成元年に奄美大島に渡り、以来リゾートホテルなど観光業を営み、現在は奄美大島観光協会の会長職を務める。

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奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介

花井恒三さんあまみんちゅ[no.7]
“奄美のトラさん”こと花井恒三さん

奄美市役所で企画や観光に携わってきた花井さん。定年後も定住希望者や進出企業向けのサポートをはじめ、奄美の外と内をマッチングさせるさまざまなボランティア活動を続けている。名刺には“奄美のトラさん”とあり「やってることは、おせっかいやき。おせっかいやきと言えば『寅さん』でしょ」と笑うが、緋寒桜2その幅の広い活動によって、この名前は奄美の内外で広く知られている。

「来年は奄美群島の本土復帰から60年の節目の年で、島外からも多くの注目が集まるチャンス」と語る。ツテの無さが理由で奄美が遠いのならば自分がそのツテになります、と奄美の“入口案内役”を買って出る。

緋寒桜1そんな奄美のトラさんがおすすめする旬の奄美は、1月下旬から2月上旬に盛りを迎える寒緋桜(カンヒザクラ)。大和村の奄美フォレストポリス(写真提供:大和村)や宇検村の湯湾岳展望台、龍郷町の長雲峠、本茶峠などが有名。2013年2月3日(日)には、「第5回奄美観光 桜マラソン」も実施される。緋色に映える冬の奄美を駆けてみたい。(2012年12月27日)


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DATA

奄美フォレストポリス

  • [住所]鹿児島県大島郡大和村名音1476
  • [TEL]0997-58-3166
  • [キャンプ場]チェックイン15:00 アウト10:00
  • [定休]無休
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