奄美群島応援コラム奄美なひとときAmami na Hitotoki


与論島の伝説が近未来小説になった~与論島と森瑶子~
author: 三嶽 公子(更新日:2013年5月9日)

森瑤子の本名、Masayo Brackinの名前が彫られている記念碑
森瑶子の別荘とお墓
「森瑶子先生は、与論島の守り神です」
小説家でエッセイストの森瑶子の文学ゆかりの地を訪ねて、与論島を歩き廻っていたとき、こんな言葉を聞いた。そうかあ、守り神かあ。森瑶子という作家は、わたしにとっても女神だったな。女性の心の痛みを書かせたら、抜群の腕前。「大人のいい女」の代名詞みたいだった。
小説「情事」で、すばる文学賞を受賞したのが1978年。作家としての勢いがついた1988年、与論島に一目惚れして、すぐに別荘を建てる。森瑤子が、胃ガンで亡くなったのが1993年。与論島の別荘に住んだのはたった5年で、しかも東京と行ったり来たり、他にも別荘があったから、トータルする と、それほど長い期間をここで過ごしているわけではないが、森瑤子の遺言により、この地にお墓が建てられ、全骨が納められている。屋根付きのお墓で、沖縄風にシーサーが祀られ、華やかな献花に縁取られるようにして、中央には森瑤子の写真が飾られている。

森瑶子墓碑【提供:ヨロン島観光協会】
この別荘は、大金久海岸の近くにあり、お墓は、その門の横にある。 墓前にある記念碑には、森瑤子の本名、Masayo Brackinの名前が彫られている。夫君はイギリスの人で、彼との間に3人の娘さんがある。命日である7月6日には、このお墓の前に、ゆかりの人が集まり、お酒や食べ物を持ち寄って、彼女を偲ぶのだと、その取材の旅で聞いた。

与論島の代名詞のひとつ百合が浜。春から夏にかけて、大潮の干潮の時間帯に現れる【提供:ヨロン島観光協会】
神懸かり的な小説「アイランド」
その別荘の書斎で、森瑤子は、小説「アイランド」を書いた。与論島を舞台にし、与論島で書かれたこの小説は、何と6日間で仕上げられたという。ほとんど神懸かり状態だ。文庫本で300ページもあるのだから。
小説の中で、島の人々は「ユンヌ」とこの島を呼び、与論島がヨロン島として実名で出てくる。大金久海岸、「星の砂で有名な百合が浜」も紹介されている。
小説の主人公・星良雅也(せいらまさや)は、月火水木(オンデイ)は証券マンとして、金土日(オフデイ)は、ミュージカル作家として、八ヶ岳で暮らしている。時代設定は2003年なのだが、小説が書かれたのが1988年だから、これは近未来小説だ。世界は超近代システムでつながり、八ヶ岳から東京までリニア・モーターカーで30分、東京からヨロン島まで最速15分で行き着くことができる。各家庭には家事ロボットがいて、お風呂も全自動、人間は立っているだけで、車のように全身を洗ってもらえる。2003年を経験したわたしたちにとって、いまだ確立しない超近代システムは、逆に未来への希望として、楽しく読める。
しかし、小説「アイランド」の魅力は、近未来社会の描写にあるのではなく、与論島に伝わる羽衣伝説「天ヌ飛ビ衣パナシ(アマヌトウビキヌパナシ)」と天の川伝説「天ヌ川ヌパナシ(アマヌコホオヌパナシ)」を題材にした愛の在りようだ。年に一度の逢瀬で満足できなくて、天の川から追放された恋人同士のミカドとメサイは、愛の記憶だけをたよりに、宇宙の広大な闇を塵のように漂い、気の遠くなるような時間を経て、ふたたびヨロンでめぐり逢うストーリーはせつなさとなつかしさに満ちている。
実は、ミュージカル「アイランド」を創作する星良雅也が、ミカドの生まれ変わりであり、その仕事仲間である廻陽子の娘・晶世が、メサイの生まれ変わり。
「この清純な天女のような娘に出逢うために、俺はあのストーリーを書いたのか」と驚く雅也。「今こそ、眼の前にいる、このどこか見えないところで血を流しているような、心に傷を負った青年のために、自分は生まれてきたのだと確信」する晶世。
作家・森瑶子のしゃれた会話、男と女の、母と娘のわずかな感情の機微も見逃さない描写が、土着的な伝説とうまく絡み合う。

小説に出てくるアジ神社のモデルであろう按司根津栄(アジニッチェ)神社【提供:ヨロン島観光協会】
与論民俗村・菊千代さんとの出会い
与論島は、珊瑚礁が隆起してできた島で、山も川もない。海底から真水が湧出する。こうした場所を浜井戸(ハマゴー)と呼ぶ。小説に出てくる源為朝を祀るアジ神社の浜井戸で、メサイとミカドは出会うことになっている。その浜井戸から湧き出る水は、命の水π(パイ)ウォーターとして描かれ、与論島の木々が豊かで、人々も長生きであるのは、この水のおかげだという設定になっている。
このアジ神社は、与論島にある按司根津栄(アジニッチェ)神社のことだろう。按司(アジ)というのは、支配者を意味する。根津栄(ニッチェ)という支配者は、琉球や奄美に支配されない時代(西暦800年から1200年頃)の人で、体が大きく、特に弓が得意であった。琉球の船に一本の矢を放ち、航行不能にしたことで、英雄にもなり、また悲壮な死を遂げた人でもある。

与論民俗村【提供:ヨロン島観光協会】
森瑶子は、このような与論の昔語りや伝説に魅せられた。与論民俗村を開設された菊千代さんから、島に伝わるたくさんの民話を教えてもらい、それを小説に生かした。森瑶子は菊千代さんを母のように慕い、菊千代さんも森瑶子の才能を高く評価した。このふたりがまるでミカドとメサイのように出逢ったことで、小説「アイランド」は生まれたのだ。
廻りあう人間の不思議。森瑶子にとって、与論島とは、そのような輪廻転生を信じさせる生命の島であったにちがいない。別荘を取り囲む木々は、海がすぐ目の前にあるために、台風や潮風に痛めつけられるのであるが、決して枯れることなく、生き生きとしている。小説「アイランド」もまた、生命の水のように読まれ続けるだろう。

奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介
あまみんちゅ[no.12]
武原末明さん(奄美観光バス 営業部長)
武原さんは、奄美のバス業界の大ベテラン。島内外のお客様に、限られた時間で奄美の魅力を最大限に楽しんでいただくため、島内ツアーのプランニングやバスの運行管理業務に日々忙しく働いている。「団体、個人とお客様のピークはそれぞれありますが、おかげさまで年中忙しくさせてもらっています」と笑顔で語る。
自身も、奄美の自然をこよなく愛する、奄美生まれの生粋のあまみんちゅだ。「7月になると奄美の山中では、陸生のキイロスジボタルを見ることができます」奄美自然観察の森などは、足元もしっかりしていて、良いスポットとのこと。「島内の人にも意外に知られていないのですが、とても美しい光景ですよ」とおすすめ。ただし「ハブには気を付けてください」。
人気のコースとして挙げてもらったのは、加計呂麻島・請島・与路島の三島を巡るコース。奄美市内にある奄美観光バス車庫を朝9時発の日帰りツアーで、海が荒れていない4~9月に楽しめる。大島海峡(右写真/提供:瀬戸内町観光協会)を渡り、奄美本島とはまた一味違った雰囲気を持つ“離島の中の離島”にも触れてみたい。(2013年5月23日)

DATA
三島めぐり
- [開催期間]4月~9月ごろまで
- [お問い合わせ]奄美観光バス 0997-54-3020
- [モデル行程]奄美観光バス車庫(奄美市名瀬小浜町)→瀬戸内町古仁屋→海上タクシー→加計呂麻島(ランチ)→海上タクシー→請島→海上タクシー→与路島→瀬戸内町古仁屋→奄美市
