奄美群島応援コラム奄美なひとときAmami na Hitotoki


五感を刺激する自然の中へ
~わたしが感じた奄美の魅力~
author: 武 久美(更新日:2016年11月10日)

奄美の森は深い
わたしは奄美生まれ奄美育ち。
20年前に胸を張って言えなかったことが、今はためらいもなく言える。
「奄美大島出身です」と、少し自慢げに。
高校を卒業後、生まれ育った奄美を離れ憧れだった東京へと行く。何もかもが新鮮で刺激的で毎日わくわくしていた。欲しいものは何でもある。テレビで見た風景も見られた。好きなミュージシャンのコンサートに行けた時には最高な気分だった。何でもある都会と何もない奄美……。

砂浜は裸足がきもちいい!
そのころ東京では奄美大島を知っている人は少なく、「鹿児島と沖縄の間にある島です」としか説明できない自分がいた。何か胸に引っ掛かっていた・・・
東京に住んでいる間、伊豆の海や湘南や千葉の海にも行き、奄美と違う色の海に驚いた。福島の山にも行った。初めての雪にとても感動したのを今でも鮮明に 覚えている。それでも都会での暮らしは2年で飽きてしまった。
何でもある都会より、「きれいな海さえあればいい!」と、専門学校を卒業後、わたしは故郷の島、奄美へと帰った。

魅了された青の世界
海の魅力
高校時代に加計呂麻島の海で初めてスキューバダイビングを体験した。海の中の色鮮やかな珊瑚礁や魚、不思議な海洋生物、神秘的な青の世界に魅了されたわたしは、夏休みの度に加計呂麻島へ行き、海に潜った。

海からの贈り物
高校卒業後はマリンスポーツ専門学校でスキューバダイビングのスキルを磨き、海のことばかり考える毎日だった。もちろん夏休みは奄美に帰り、海へと向か った。
80年代の終わり、映画「グラン・ブルー」などの人気で日本ではダイビングが大ブーム!加計呂麻島にはスキューバダイビングを楽しむために多くの観光客 が来ていた。
ダイビング雑誌には「奄美大島特集」と海の魅力がよく紹介されていた。実は奄美って有名ではないか!海が好きな人は奄美大島の存在を知っていたのだ。
昔、海に潜った友人が海の中を「宝石箱みたい」と言った時に笑ってしまったが、まさに宝石箱。奄美はもちろん、ぜひ加計呂麻島まで足を伸ばし、海の中をのぞいてみてほしい。

波が小さい日はリラックスサーフ
波のエネルギー
スキューバダイビングを始めて3年後、海の上にも興味がでてきた。波に乗りたい! 初めて波に押された時の感覚、波のパワー、何と言えばいいのか・・・
とにかく楽しい!!!波乗りの世界にすっかりのめり込んでいった。
自然の波は変化し続ける。同じ波はない。その波にどう乗るか乗れるかは自分次第。自然に対して謙虚な気持ちでいないと痛い目に遭うのだ。波乗りと人生は同じ。「人生の波に乗ろう!」ってサーフィンを人生に例える人は多い。

アダンが茂る広い砂浜はいつまでも残したい
奄美大島はたくさんのサーフスポットがある。優しい波からハードな波まで。海の上も楽しめるのだ。なんといっても奄美は程よい大きさの島で、波を求めて東から西へとすぐに移動できる。波があればサーフィンして海が穏やかな日はダイビングやシュノーケリング。奄美の海はシュノーケリングでも十分にきれいな海の中が楽しめる。
暦は秋を迎えているが、まだまだ海の水は暖かい!
波のエネルギーと海の癒しを感じることで海に出掛けた日の夜は心地よい気分の中、深い眠りにつくことができる。

ビーチに落ちる水のパワー
山の魅力
海から空に上がり、天からの雨が降り注ぐ、そして山から川を流れ、海にもどる。
豊かな山があってきれいな海があることを知ってから山と川への興味が出た時には滝に夢中になっていた。

深い森の中で五感を研ぎ澄ます
奄美の有名な滝を巡り、名前も知らない滝を探すようになった。歩いた山や川の自然な姿に感動した。川を登り、ワイルドな本当の自然の姿が見えてきた時、人工的に作られたものより自然が作り出す神秘的なものに人の心は揺さぶられるのだと感じた。
美しい花、変わった生物、野生動物の足跡などを見ると自然の中で生かされていることを再認識し、これからどのように生きようかと自問自答する。

スペシャルリラックスタイム
自然の中の「ゆらぎ」
サーフィンをしていても、シュノーケリングをしていても最後は道具を全て投げ出したくなる。そして、体一つで海に浮かぶ。仰向けになり耳だけ海の中へ入れると、こんなに心地よいヒーリング効果はないと思うほどだ。ぜひお試しあれ。
海や山も出来るだけ人の手が入っていないありのままの自然があるところへ出掛け、寝転ぶ。自然の中で過ごすことで、少しずつ感覚が研ぎ澄まされていくのだ。
特にこれからの季節はキャンプがおすすめ!鳥や虫の鳴き声に耳を澄ませたり、波の音や風の音聞いたり、月や星空を見上げ、キャンドルや焚き火の炎をぼーと眺める。自然界にはリラックス効果をもたらす「1/fのゆらぎ」がたくさんあり、人の心を癒してくれる……。 何時間でも「ぼー」とできる。心地よく「ぼー」としてしまうのだ。

(左)1/fのゆらぎ (右)美しく澄んだ川の水
奄美は豊かな自然が残っているから楽しくユニークな暮らしができると思う。便利なものが増え、暮らしやすくなったかもしれないが、昔ながらの小さな商店が消えていくのは寂しい。なくても良いのでは?と思うような護岸や消波ブロック、砂防ダムなど。海や山の景色や心に残る情景はどこへ行くのだろうと。
お互いに機能していないといけない山と川と海。今ある自然環境があたりまえと思って無意識に過ごしていては無くなってしまうのではないかと危機感を持っている。
奄美大島の表と裏を発信し、島の良さを再確認して持続可能な島暮らしを目指す。
島を元気に繁栄させるためのウェブサイト「ILANDR アイランダー」http://ilandr.com を立ち上げたばかりだ。自分も知らない奄美を知るためと、奄美にあうクリエイティブなライフスタイルとリアルな奄美を発信している。

一日の終わりは極上サンセット
奄美なひととき
このコラムを書くにあたって、過去の記事を全て読ませて頂いた。
「ここに行きたい!」と思う内容ばかりで、奄美に生まれ育ったわたしでさえ訪れたことのない島がある。近いうちに奄美群島すべての島に足を伸ばそうと決めた。
ぜひバックナンバーも読んで頂きたい。
「ふるさとを離れ、ふるさとを知る」恩師が話した言葉に胸を打たれ、まさにそうだと感じる日々。住んでいる場所を離れ旅にでる!何かを感じて家路に帰ることでしょう。

奄美が大好き!なわたしが、旬の奄美をご紹介
あまみんちゅ[no.54]
川田 伸博さん(「居酒屋与論島」代表)
鹿児島大学のキャンパス近くに居酒屋を構え、今年で18年目になる。店名の「与論島(ゆんぬ)」は、生まれ育った島から、もらった。身内からは「ほかの名前を」と反対されたが、押し切った。
18歳で中華料理人を目指し島を出た。当時は「島は自分に合わない」と感じていた。大阪で就職。同じ与論出身の女性と結婚し、子どもに恵まれた。飲食チェーン店の仕事に懸命に取り組んでいた1995年、阪神淡路大震災が起きた。
古里の与論の人口に匹敵する人々が亡くなった現実を前に「その日を大事に生きていかないと、どうなるか分からない」と思うようになった。 島を出た経験は、かえって与論のよさに気づくきっかけになっていた。透明な海や、美しいサンゴ、地面を照らすほどの星空。人情味あふれる人たちの存在。鹿児島に帰る契機になった。

店内には、与論の黒糖焼酎が並び、レジ付近には、与論島の観光パンフレットが置かれる。かつて与論で働いたことのある公務員たちも顔を出す。食事にやってくる大学生らが「与論に行く」といえば、旅の相談にも乗る。若い学生らが、古里に関心を持ってくれるのは、うれしい。
鹿児島に店を構えて以降、出身者らに声を掛け、本土に部活動の試合にやってくる与論の子どもらの応援にも出掛ける。昔、硬式野球の試合に出たとき、同じように島の人たちが応援にきてくれたのがうれしかったからだ。「島に育ててもらったから」という気持ちも強い。
店を開いている関係で、なかなか島に帰れない。それでも、心の中には、いつも与論がある。

DATA
居酒屋与論島
- 与論の塩とにがりを使った「ゆんぬ豆腐」が店の人気メニュー。プリンのような食感が人気の秘密だ。たっぷり4~5人前はあるそうめんチャンプルー(850円)、えんがわユッケ(650円)もお勧め。ランチ(土日祝除く)はボリューム満点の日替わりを500円で提供と赤字覚悟の大サービスで大学生らの胃を満足させている。
- [住所]鹿児島市荒田2丁目62-2
- [電話]099-250-8977
- [営業時間]
午前11時~午後2時(ラストオーダー1時半)
午後6時半~午前2時(ラストオーダー午前1時)
