米国「ブドウ王」最後の帰郷写真 長沢鼎71歳、桜島で撮影か 子孫が保管、鹿児島との縁終生

(2020/08/03 17:00)
長沢鼎と、鹿児島の親族との交流を示すはがきや写真。写真は、71歳の長沢が生涯最後となる4度目の帰郷の際に撮影したとみられる
長沢鼎と、鹿児島の親族との交流を示すはがきや写真。写真は、71歳の長沢が生涯最後となる4度目の帰郷の際に撮影したとみられる
 薩摩藩英国留学生の一人で、後に米国で「ブドウ王」と呼ばれた長沢鼎(かなえ)=1852~1934年=が23(大正12)年、祖国への最後の旅となる71歳での帰郷の際に撮った写真が見つかった。長沢の兄の子孫が保管していた。他にも米国の長沢の農園に暮らす親族が当時、世界中に流行したスペイン風邪の鹿児島での蔓延(まんえん)を気に掛けて送った年賀状や、“長沢ファミリー”の消息を知らせる絵はがきなども残っており、海を挟んだ親しい交流をうかがわせる。

 薩摩藩英国留学生記念館(いちき串木野市)と、長沢の生涯に詳しい鹿児島国際大学の森孝晴教授によると、写真は長沢が4回目に帰国した際のもので、当時、鹿児島市内に住んでいた長沢の長兄・磯長吉輔(よしすけ)の長女・相良アヤ(長沢のめい)らと写っている。撮影場所は桜島とみられるという。

 年賀状は米サンタローザから、アヤらに宛てたもの。消印は19年1月4日。「(サンタローザは)流行病があっていけませんよ。御当地はいかが」と、鹿児島の様子を気遣っている。

 筆跡などから差出人は吉輔の孫(アヤのおい)で、長沢の農園を手伝っていた磯長紀一(きいち)とみられる。「流行病」は1918年~21年にかけて世界中で多くの死者を出したインフルエンザ(スペイン風邪)という。長沢はこのころ、日本語で手紙をしたためることはなく、森教授は「“長沢ファミリー”を代表する形で親族が書き送ったのだろう」と推測する。

 写真や年賀状は、吉輔の子孫にあたる鹿屋市の小野雅子さん(76)が保管。小野さんの亡夫・喜武(よしたけ)さんが、長沢とのつながりを系図にまとめた縁で今年1月、別の子孫から引き継いだ。他にも、長沢と同居していた親族が「(長沢や紀一)が元気に暮らしている」と、アヤに知らせる絵はがきなど約20点が残る。

 記念館の奥ノ園陽介副館長は「4度目の帰国時に鹿児島で撮った写真が見つかるのは初めて。子孫の方々に、長沢ゆかりの資料が大事にされてきた意味も大きい」。鹿国大の森教授は「長沢が生涯にわたって、鹿児島や親族と深い縁を保っていたことを改めて確認できる」と話した。