時計 2020/10/22 17:30

「全員で誠意を尽くして対応させて頂きます」。病室には手書きの手紙と小さな折り鶴。優しい文字に胸いっぱいになり、隔離生活を覚悟した。

女性の病室に置いてあった病院からの手紙と折り鶴(画像は一部加工しています)
女性の病室に置いてあった病院からの手紙と折り鶴(画像は一部加工しています)
 〈コロナの爪痕 与論の元感染者に聞く③〉

 7月24日午後2時すぎに、自衛隊のヘリが奄美大島へ飛び立った。搭乗者は私たち親子以外に年齢の近い友人と車いすの高齢者ら8人。会話はなく、重苦しい雰囲気が漂う。機内は大きな音と振動が響き、まるでブルドーザーに乗っているようだった。

 ヘリは1時間もしないうちに着陸した。迎えの小型バスに乗せられ病院へ向かった。外から見られるのが怖くてうつむいた。

 到着すると、防護服を着たスタッフに裏口から病棟へ誘導された。病棟は感染者のために1フロアを全て空けてあった。病室は息子と一緒で、ベッドが二つあった。院長名で「全員で誠意を尽くして対応させて頂きます」と手書きされた手紙と小さな折り鶴が置かれていた。優しさのこもった文字に胸がいっぱいになった。「隔離生活が始まるんだ」と覚悟した。

■母親が見舞いに
 症状が出てから目まぐるしく過ぎた2日間と比べて、入院中は穏やかな日々が続く。私は嗅覚障害以外の症状は治まり、息子は無症状のまま、共に投薬や治療はなかった。

 入院3日目には息子が「食べたい」と言っていたハンバーガーや菓子、おもちゃなどを持って、県本土から母親が来てくれた。直接は会えなかった。心配をかけた上に遠方から来てくれたことに、ありがたさと申し訳なさが入り交じる。

 駐車場に向かう母親が見えたので、病室から手を振った。半年ぶりに見る母は小さく見えた。後から「いろいろ悪い方に考えないように、とにかくゆっくり過ごしてね」と連絡が来た。

 医療従事者は防護服に全身を包んでいたため顔は見えなかった。息子のことをいつも気にかけ、病院食にふりかけや果物をつけてくれた。毎日のように菓子の差し入れもあった。感謝しかない。

■花火が上がる
 退院は8月2日に決まった。1日夜は病院の近くでコロナ収束を願う花火が打ち上げられた。数十分かけて千発ぐらいだろうか。病室の窓から見た。息子は食い入るように見ていた。まるで、私たちの退院祝いのよう。忘れられない思い出になった。

 同時に、これから日常生活に戻ることへの不安が芽生える。

 10日間の入院生活を終え、県本土の実家に3泊した。両親は笑顔で「お帰り。元気そうでよかった」と出迎えた。いつも通り、息子の頭をなで一緒に風呂に入ってくれた。

 職場とも連絡を取り、復帰は6日に決まった。友人や同僚は「待ってるよ」「また遊ぼうね」と激励のメッセージを送ってくれた。うれしかった。だが、私のせいで感染者や濃厚接触者にしてしまった約10人の友人や同僚が島にいる、と思うと罪悪感が頭をもたげた。