時計 2021/03/07 11:30

「どこにもいかないで」と握りしめられた手… 海辺の村唯一の医師「命を守る」 故郷の応援と患者の笑顔を支えに #あれから私は

故郷から贈られた寄せ書きを宝物にする医師の押川公裕さん=2月15日、岩手県野田村
故郷から贈られた寄せ書きを宝物にする医師の押川公裕さん=2月15日、岩手県野田村
 〈被災地に生きる 震災10年 鹿児島人①〉

 「久しぶり、元気にしてた?」「薬はいつも通りね」。岩手県野田村の「おしかわ内科」。村唯一の医師、押川公裕さん(71)=さつま町出身=と患者の笑い声が診察室に響く。自らも東日本大震災で被災しながら「村民の命を守る」と、この地にとどまり10年。故郷からの支援を心の支えに“最後のとりで”として日夜、住民の心音に耳を傾けている。

 人口約4200人、ホタテなどの養殖が盛んな三陸海岸沿いの村は震災で37人が犠牲になった。中心部にあった押川医師の自宅兼診療所も津波で流され、カルテ4千枚以上を失った。途方に暮れる中、唯一見つかったのが医師免許だった。

 程なく救護所で負傷者の診察にあたった。「どこにも行かないで」。高齢者らは涙ながらに手をぎゅっと握りしめた。不安におびえる被災者に寄り添うことを決めた。

 仮設診療所を経て、2012年8月に新たな拠点を村役場の横に構えた。「明日は必ず来る」「薩摩魂で頑張れ」-。診察室には小学校の同級生らが激励メッセージを書いたさつま町旗を飾る。「鹿児島を離れて50年以上たつけど、故郷は心のより所。一緒に遊んだときの顔を思い出すんだよね」と目頭を押さえる。

 窮状を知り、町や有志が贈ってくれたパソコンや冷蔵庫といった支援物資は宝物だ。

 震災後はストレスを抱え、高血圧の住民が多かった。10年の年月が流れ、平穏な状態に戻りつつある。そんな中、2月13日深夜、最大震度6強の地震が東北を襲った。村も震度4の揺れを観測した。「忘れかけた記憶がよみがえらないか心配」と村民の健康を常に気に掛ける。

 毎週診察を受ける女性(75)は孫の話などで打ち解け、すっかり顔なじみだ。「体の悩みは何でも相談できる。余震は怖いけど先生がいるだけで心強い」と信頼する。

 「人生の最後は鹿児島で迎えたいよ」と笑う押川さん。「でもね、みんなが頼りにする。こんなの人生で初めて。だから笑顔を見ると、もう少しこの村で頑張ろうと思うんだよね」

 死者・行方不明者が1万8425人(2月10日時点、警察庁まとめ)に上った東日本大震災から11日で10年。被災地に生きる鹿児島県出身者らを追った。
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