時計 2021/04/03 23:00

木造塔跡に石塔を再建か 大隅国分寺跡で礎石発掘 霧島市

石塔の下から発掘された木造塔の礎石(中央)=霧島市国分の大隅国分寺跡(霧島市教育委員会提供)
石塔の下から発掘された木造塔の礎石(中央)=霧島市国分の大隅国分寺跡(霧島市教育委員会提供)
 国指定史跡の大隅国分寺跡(霧島市国分中央1丁目)に立つ石塔の直下から、木造塔の「心柱(しんばしら)」を支える礎石である塔心礎(とうしんそ)が発掘された。木造塔があった場所に石塔を再建したことを示すと考えられ、「まだ明らかになっていない寺の建物配置を探るヒントになる」(市教育委員会)と関心を集めている。

 礎石は、2月末に完了した石塔の修復作業で見つかった。楕円形で最長部の直径約1.5メートル。中心に、柱を入れたとみられる直径27センチ、深さ7センチの穴が開いている。

 大隅国分寺は奈良末期から平安初期の完成とされ、現在残る石塔には平安末期の1142(康治元)年の銘が入る。軸とかさを重ねた6層で、高さは約5メートルある。

 近畿地方などでは、中小規模の寺院にあった木造塔が老朽化した後、経済的な理由で代わりの石塔を建てるケースが確認されている。市教委社会教育課の坂元祐己さん(38)は「大隅国分寺も当時は衰退していたと考えられており、復活を願う象徴的な存在として石塔が造られたのでは」と推察する。

 また石塔を解体した際、2層目の中心部に縦30センチ、横17センチ、深さ7センチのくぼみが見つかった。石塔と同じ平安末期建立とされる隼人塚(同市隼人)でも確認され、経典を納めた場所とうかがえる。

 現地では石塔のほか発掘された礎石も見学できる。坂元さんは「国分の地名の由来となった場所。ぜひ一度見に来て」と呼び掛ける。
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