時計 2021/04/16 11:00

女優ヘプバーンの最期を、新聞に出したお悔やみ広告で見送った。10代、映画館で観た「ローマの休日」が始まり。今の人生につながる出会いだった

ヘプバーンの思い出や魅力を語る加治屋敬行さん=鹿児島市の黎明館
ヘプバーンの思い出や魅力を語る加治屋敬行さん=鹿児島市の黎明館
■加治屋敬行さん(73)=鹿児島市鴨池新町

 名優オードリー・ヘプバーン(1929~93年)との出会いは鹿児島商業高校に通っていた60年代前半。試験が終わった後、鹿児島市の山之口本通りにあった映画館「第2文化」で上映中の「ローマの休日」だった。平日で時間が早かったこともあり観客はまばら。ヘプバーンの名前も知らなかったが、みずみずしい演技やにじみ出る気品の高さに衝撃を受けた。

 出演作上映時は必ず映画館に出向いて、掲載雑誌も買い集めた。洋画館「ナポリ座」に頼み込んで映画をテープレコーダーに録音しようとしたことも。新作を見る前の放課後、教室全ての机の引き出しにチョークで「オードリー」と落書きして、翌朝騒ぎになったこともある。「当時、映画館で作品を見ることができたのは財産」と胸を張る。

✲オードリー・スタイル展で「再会」

 鹿児島市の黎明館で開催中の写真展「オードリー・スタイル」でヘプバーンと“再会”した。喜びを新聞に投稿すると、話したこともない同級生から連絡があった。「高校時代『オードリーが載っているチラシはなんでもいいからくれ』と言うやつがいる、とうわさだったよ」。忘れていた思い出話に思わず赤面した。

 オードリーとの出会いが人生を大きく変えた。「ローマの休日」では、スペイン広場の階段でジェラートを食べるシーンに憧れた。当時は海外への渡航制限があり、費用も高額だった時代。イタリア旅行など想像もできなかった。旅行自由化後に鹿児島経済大(現鹿児島国際大)を卒業すると迷わず旅行会社に就職。20年の勤務を経て、90年に妻・由美子さん(71)と旅行会社「旅のパートナー」を設立した。2010年に会社をたたんだ後も旅行業に携わり、今もミソラリンク(姶良市)で旅行顧問を務めている。

✲もう一度、晩年の地へ

 オードリーが世を去った際は、一ファンとしては異例のお悔やみ広告を南日本新聞に出した。翌1994年に、由美子さんと娘を連れてオードリーが余生を過ごしたスイス・トロシュナを訪れた。銀幕の大スターにしては質素で小さな墓標だった。「こんなに近くに来ることができました。あなたがいなかったら、今の人生はなかった。ありがとう」と呼び掛けた。新型コロナ収束後、もう一度訪れるのが「最後の夢」だ。

【かじや・たかゆき】鹿児島市出身。長田中学校では、歌手・森進一がクラスメートだった。「当時は私の方が人気があった」