時計 2021/04/18 22:00

「日本男子の名誉」 戦時の価値観伝える教え子の激励文 代用教員の故・赤崎さん保管〈つなぐモノ語り-かごしま戦争記録〉

赤崎良弘さんが保管していた教え子からの作文
赤崎良弘さんが保管していた教え子からの作文
 太平洋戦争時、伊佐市の代用教員だった父が徴兵される直前、72人の教え子にもらった作文を、長男の赤崎憲弘さん(74)=鹿児島市紫原3丁目=が見つけた。伊佐市の実家の仏壇に保管されていた。召集を祝い激励する内容が目立ち、戦時色に染まった当時の社会情勢や価値観がうかがえる一方、別れを惜しむ率直な思いもつづられている。

 赤崎さんの父良弘さん(1922~2003年)は、山野国民学校高等科1年の担任だった1943(昭和18)年4月、20歳で召集され、旧陸軍西部18部隊(鹿児島市)に入隊。衛生兵となり、熊本で終戦を迎えた。

 「応召に際して担任児童七拾弐名の熱心なる作文」と手書きで記した題字付きの作文は約60枚。大きさや厚さもさまざまな用紙に、一人一人が鉛筆書きで思いをつづっていた。

 感謝の言葉とともに「先生おめでとう」「バンザイ」「日本男子の名誉」と召集を喜ぶ言葉が多く、日の丸や旭日旗のイラストを描いた作品も。「天皇陛下に忠義をつくして」などの表現も目立つ。

 「銃後のまもりはひきうけ、米英は一歩もふみこません」「僕達もいつかは帝国軍人となり先生の後を引き継ぐ覚悟」。子どもながらに勇ましい言葉を並べた一方、「先生を失ふことが一ばんつらい」「わかれるのはつらいです」と純粋な気持ちも寄せていた。

 良弘さんは生前、教員時代のことをあまり話さなかったといい、遺品整理を通じて初めて作文の存在を知った。アルバムなどと一緒に大切にしまってあった。

 赤崎さんは、国力の全てを戦争に懸ける考え方が子どもたちにもかなり浸透していたことに驚かされた。「紙質の悪さからも、物資が乏しかった当時を感じることができる。関心がある人には見てほしい」と話した。