終戦間際の台湾、「戦車特攻隊」に配属。爆弾15キロを抱え、薄い底板目がけ飛び込む訓練、爆薬付きの棒を突き当てる訓練、そして夜襲。圧倒的な米軍の戦力に、「たこつぼ」と呼ぶ穴での待ち伏せが関の山だった〈証言 語り継ぐ戦争〉

 2022/08/12 11:58
 軍服に身を包んだ戦車特攻隊員当時の川村正道さん(右)
 軍服に身を包んだ戦車特攻隊員当時の川村正道さん(右)
■川村 正道さん(95)鹿児島県出水市西出水町  日本統治時代の台湾中部で、1927(昭和2)年に5人きょうだいの4番目として生まれた。当時、父は台湾人を… [続きを読む]