2021/04/02 16:40

連載「荒野をゆく 赤﨑勇物語」(上) 青色発光ダイオード 研究一筋、信念貫く

ノーベル物理学賞に決まり、研究室のメンバーから花束を受け取る赤﨑勇・名城大終身教授=2014年10月7日夜、名古屋市天白区の名城大
ノーベル物理学賞に決まり、研究室のメンバーから花束を受け取る赤﨑勇・名城大終身教授=2014年10月7日夜、名古屋市天白区の名城大
 地道な努力の先に、輝かしい栄光があった。7日、青色発光ダイオード(LED)開発でノーベル物理学賞を受賞した南九州市知覧出身の赤﨑勇さん(85)。多くの研究者が道半ばで投げ出すなか、自分を信じ、辛抱強く実験を重ね、世界に役立つ青い光を生みだした。郷里の鹿児島やゆかりの人々は、世界に名を刻んだ功績をたたえ、歓喜に沸いた。

 7日夜、名古屋市の名城大学の会議室。グレーのスーツに身を包んだ赤﨑さんは、落ち着いた表情でマイクの前に座った。

 「こんな名誉なことはない。一緒にやってきた仲間たちや、支えてくれた組織のおかげです」。しっかりした口調でまず周囲への感謝を語り、控えめな笑みを見せた。

 これまでの研究を振り返り「(青色LEDは)とても20世紀中にはできないだろうと当時言われていて、研究をやめていく人も多かった。しかし私は成否は考えていなかった。ただ自分のやりたいことをやってきた」。言葉には、強い信念がにじんだ。

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 青色LEDは、携帯電話や薄型の大型ディスプレー、信号など、今では日常で欠かせない。材料となる半導体の結晶化が難しく、多くの研究者が開発を断念した「未知の世界」に、赤﨑さんは人生を懸けた。苦難の末に、青い光をともした研究人生を「われ一人荒野(あれの)を行くとの心境だった」と明かす。

 1952年、神戸工業(現富士通テン)に入社。2年後、熱を伴わない発光現象(ルミネッセンス)の研究に携わったのが「コバルトブルーの光に魅せられた」きっかけだった。松下電器産業東京研究所に移った64年には「未知の分野を極めたい」と、青色LEDの研究に取り組み始める。

 LEDは、赤色と緑色は早く開発されたものの、青色は技術的に極めて難しいとされた。研究を諦めた学者は「理論上不可能」と言い切ったほどだった。

 「みんなが無理というのは、おかしいと思った」。赤﨑さんは、ゴールの見えない研究を続けた。当時、高効率の青色発光を実現する材料は、軟らかく加工しやすい「セレン化亜鉛」が主流。しかし、「実用化にはより丈夫な半導体が必要」として、良質な結晶作製と電気伝導制御がはるかに難しい「窒化ガリウム」を選んだ。

 思い通りの結果はなかなか出ず、周囲の「青色LED」への関心は薄れていく。81年、反響を期待してそれまでの研究成果を国際シンポジウムで発表したが、質疑応答は全くなかった。「一人なんだなあと感じた」

 それでも心が折れることはなかった。「高い壁をクリアすれば究極の半導体ができる」。信念に基づき、地道に研究を重ねた。

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 名古屋大教授だった85年、転機が訪れる。努力が実り、新しい方法で極めて高品質の窒化ガリウム結晶をつくることに成功した。4年後の89年には、世界で初めて高輝度の青色LEDを実現。米国の学会で発表し、実用化への道を開いた。

 それから25年。名城大終身教授となった現在も、
学生らと研究に取り組む。研究への意欲はなお旺盛だ。

 7日夜の会見。若い研究者へ「本当に自分のやりたい研究をやるのが一番」とエールを送り、「窒化化合物は大変なポテンシャルがあるが、まだそれを生かし切れていない。やることはたくさんある」と力を込めた。
(2014年10月8日付 南日本新聞)
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