2021/06/25 06:10

種子島沖旧海軍機 九七艦攻 主翼、胴体部、操縦席の引き揚げ終わる 採取した砂など調べ遺骨確認へ

海底から引き揚げられる主翼の一部とみられる部分=24日午前、西之表市国上沖
海底から引き揚げられる主翼の一部とみられる部分=24日午前、西之表市国上沖
 西之表市国上の喜志鹿崎(きしがさき)沖に沈む旧日本海軍の九七式艦上攻撃機(九七艦攻)の遺骨調査で、日本戦没者遺骨収集推進協会は24日、主翼や操縦室の一部、胴体部分を引き揚げ、海中での作業を終えた。同日までに遺骨は見つかっていない。25日から台船上で遺骨の有無を確認する。

 24日はクレーンでロープや容器を海中に降ろし、機体をつり上げる作業を繰り返した。調査団によると、主翼などのほか、搭乗員がいた可能性がある操縦室周辺の砂も土のうに詰めて引き揚げた。

 25日は同市街地近くの池田港に台船を移動させ、機体の内部や砂に遺骨がないかを調べる。名雪文明団長は「機体の損傷と劣化が予想より進んでいた。最後まで遺骨の確認を進める」と話した。

 機体は喜志鹿崎の北約300メートル、水深約18メートルの砂地に裏返った状態で沈み、両主翼の半分がなく操縦席が砂に埋まっていた。

 遺骨調査は15日から始まり、機体引き揚げに23日着手した。遺骨が確認されないまま機体を回収する大規模調査は異例。国内に現存が確認された九七艦攻はなく、大分県宇佐市が取得し、保存・展示を予定している。

■九七式艦上攻撃機(九七艦攻)

 日本海軍に1937(昭和12)年採用された航空母艦搭載用の3人乗り攻撃機。41年12月8日の米ハワイ・真珠湾攻撃の主力を担った。太平洋戦争末期には旧式化し、45年4月から始まった沖縄航空作戦では、串良航空基地(鹿屋市)から出撃した特攻隊に多数使われた。
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