2021/07/24 21:15

〈コロナと祈り〉集い、顔合わせ、話す「場」の力 「1人1人の心のおびえ癒やす」

霧島市の照明寺であった女性の集いで合掌する参加者
霧島市の照明寺であった女性の集いで合掌する参加者
〈コロナと祈り 宗教は今㊥〉

 霧島市溝辺の照明(しょうみょう)寺(浄土真宗)の本堂に6月8日、約20人の女性門徒が集まった。毎年同じ日に行う習わしの「女性の集い」。法事やバザーを開くなどして1日過ごす。30年以上続いてきたが、昨年は新型コロナウイルスの影響で中止し、今年は2年ぶりの開催だった。

 藤谷信人住職(36)は「(コロナ対策で)中止すべきか悩みました。でも、人と会って何げない話をしたりうなづいたりするのも大事。こんな状況だからこそ仏様のお話はほっとされるでしょう」と語りかけた。

 恒例のバザーは見合わせ参加者の合唱も控えた。法話した福岡市の僧侶、賞雅曜哲=たかまさ・ようてつ=(35)=日置市出身=は、PCR検査で陰性を確認した上で訪れた。参加者は声を落として読経し、法話の後は、東京芸術大出身という賞雅がピアノを演奏。午後からは映画を鑑賞した。どんなプログラムなら感染リスクを抑えられるか考えての開催。長年参加してきた女性(94)は「みんなの顔を見られて落ち着いた」と話す。

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 感染の不安が広がる中、門徒らの心の平穏を保つためにどう行動するべきか。お寺は悩む。世界保健機関(WHO)が昨年4月に公表した宗教指導者向けの文書がある。それによると、集団行事や接触を伴う儀式の回避、リモートでの活動を推奨するなど科学的根拠のある行動を求める一方で、感染予防の情報共有や心のサポート、弱者の支援に宗教の役割を認め「他からの情報よりも受け入れられる可能性が高い」と期待もしている。

 照明寺前住職の藤谷文孝(73)は、コロナ禍で多くの行事が中止に追い込まれる中、お寺とは何かを問い直している。「今こそ世の中に分け入っていかなければ社会に生きた仏教になり得ないのではないか」

 スーパーで高齢女性が「もっと離れて並ばんか」と男性に怒鳴られているのを見た。地元に感染者が出ると根拠のないうわさが流れる。「これまで寄り添ってきた地域のきずなが断たれている。1人1人の心にあるおびえを癒やさなければならない」

 系列の保育園でもおんぶや抱っこなど、子どもたちの発達に欠かせないスキンシップが制限される矛盾を抱える。「大好きだよ、でも近寄らないで、と言われても幼児には難しい」。園では、リスクを抑えて関わりを保てるよう、全国保育園保健師看護師連絡会と日本小児感染症学会の対策手引を参考に、地域での感染状況に応じたマニュアルを定めて両立に腐心する。

 4月に音楽やお菓子作りを楽しむ「OHANA」という催しを2年ぶりに開いた際、障害児を連れた若い母親から「楽しかった。ありがとう」と涙目でお礼を言われた。「張り詰めた日常を送っていたのだろう。ほっとする場所が求められている」と改めて感じた。

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 安らぎの需要に応え、地域のきずなを維持していくのは誰なのか。今や行政やNPO法人、民間ボランティアとさまざまな団体が、サロンを開いたり、子どもや医療従事者らに食事支援をしたりと活動する。藤谷前住職は「必ずしもお寺である必要はなくなっている」と認めながらも「地域に長く存在し、出入りしやすいお寺は、人を癒やす場としての力を失っていない」と信じている。

 お寺の役割の一つを「オフラインコミュニケーションの場」と考える。顔をあわせて「元気でしたか」「変わりはないですか」と声をかけるような、オンラインでは生まれないやり取りこそ大事だという。会員制交流サイト(SNS)を使いこなす世代でも孤独が問題になるように、人が集うこと自体が意味を持つ。

 「生きている意味や希望を見失いがちな中で、大丈夫ですよ、と声をかけられるか。仏教者が場の力に気付くことで、お寺は単なる法事の場ではなくなり、仏教本来のあるべき姿を取り戻せる」と話す。 
(敬称略)
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