【特攻この地より 終の便り】出撃した隊員は19歳。望んだ食事、リリク(離陸)日時…知覧の母は家族に手紙で最期を伝えた。でも書かなかったことがある
2021/08/11 11:25

「特攻の母」と慕われた鳥浜トメさん
「おばあちゃんな、行っがなっかねえ。たくさんの人が待っちょったっどん」
「大丈夫だよ。連れていくから」
戦時中、知覧の町で軍指定の富屋食堂を営み、集まる特攻隊員たちに「おばさん」「お母さん」と慕われた鳥浜トメさんが、孫の明久さん(54)と交わした最後の言葉だ。
1992年の年明けから体調がすぐれず枕崎市の病院に入院。例年5月に、知覧特攻平和観音堂前で開かれる特攻基地戦没者慰霊祭に出席できるか気がかりだったらしい。
「行っがなっかねえ」と3月末ごろから、何度も口にした。
◆ ◆
その手紙は、「中島様のお父上様に一筆お知らせます」(原文のまま)で始まる。
中島豊蔵軍曹は第48振武隊の一員として45年6月3日、知覧基地を出撃、19歳で戦死した。愛知県の実家に、あまり日をおかず、出撃前の様子を告げる手紙が届いた。差出人は42歳のトメさんだ。
自分が知覧で食堂をしていることを知らせた後、続ける。「私も又(また)子供の如(ごと)くお世話してあげたかったのでこの世の中でほしい品をききましたところが玉子の吸い物にシイタケを入れてたべたいとの事で思ふままにしてやりました」。さらに「リリク(注・離陸)」の日時を伝えている。
特攻は軍事機密だ。当時の新聞が基地を報じる際は「○○基地」と表して、場所を伏せた。隊員が軍の検閲を受けて出す手紙には、自分が今どこにいるのか書くことを禁じられていた。戦死情報についても、遺族にさえ詳細な日時や場所が知らされない。
そんな状況で、トメさんは多くの肉親宛てに便りをしたためた。「憲兵の見張りを避け、朝一番に遠いところのポストに出しに行ったようだ。覚悟の上の手紙だったと思う」。明久さんが言う。
◆ ◆
トメさんが中島軍曹の父親に、あえて知らせなかったことがある。
中島軍曹は出撃数日前に片腕を捻挫した。自由に動かない腕を自転車のチューブで操縦かんに固定して飛び立ったのだ。
しかし、トメさんは「元気でニッコリ笑って征(い)かれました」とだけ記した。親の気持ちを思えば、そう書くしかなかったのか。
トメさんが書いた手紙はいま、富屋食堂跡に立つ「ホタル館」のガラスケースに収められている。同館には親や妻子と並んだ特攻隊員の写真も数多く展示してある。
戦後、「あの人たちも命が惜しい男であり人の子であり人間なんだよ。100歳まで生きて慰霊したい」と話していたトメさん。92年4月22日、その年の慰霊祭には足を運べないまま、89歳で旅立った。
(連載は「特攻この地より かごしま出撃の記録」として出版)
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