76年前、自宅前の線路の列車を米軍機が襲った。怖いもの見たさで外に出た。右足に強い痛み。大量の血の中から見つけた銃弾は今も持っている〈証言 語り継ぐ戦争〉
2021/08/22 14:11

銃弾を手に、空襲の様子を振り返る徳田鉄美さん=阿久根市折口
76年前の銃弾1個を今も持っている。先端はとがり、長さ60ミリ、重さ39グラム。生まれ育った阿久根市折口地区を襲った空襲で、私の右足に当たった弾だ。
1945年5月13日午前9時前だった。上空に多数の米軍機が現れ、空襲が始まった。家の中では母や妹たちが布団を頭からかぶって体を震わせていた。
当時小学4年生の私はやんちゃ盛り。怖いもの見たさで外に出た。目に飛び込んできたのは、家の前の線路に停車したままの列車。車両目がけて容赦なく銃弾が打ち込まれていた。
乗客たちは銃撃を避けるために線路脇の側溝に下り、身をかがめていた。大半の窓は割れてなくなっていた。米軍機は周囲を覆う松林に引っ掛かるのではないかと思うほど低空を飛んでいた。
「ヒュン、ヒュン」。辺りに銃撃音が鳴り響いた時だった。「足がジクジクする」。強い痛みを感じた瞬間、右足の親指付近から大量の血があふれ出した。すぐに流れ弾が当たったと分かった。銃弾は水たまりのように広がった血の中から見つかった。
家に戻り、おむつを何重にも巻いて止血した。指の骨は折れていた。「そげんとこにおるから当たっとじゃ」。母に厳しくしかられた。
後になって空襲で乗客1人が亡くなったことを知った。私も当たり所が悪ければ、命を失っていたかもしれない。怖くなった。
それからも米軍機は何度も阿久根の上空を飛んだ。日本側の高射砲は全く届いていなかった。子どもながらに米国との戦力の違いを見せつけられた気がした。
大人たちの間では「折口の海岸から米軍が上陸する」という話が広がっていた。日本軍が上陸に備え、自宅の小屋を砲弾の保管場所として使った。私たち一家も上陸が始まれば裏山に逃げる手はずだった。
結局米兵は現れず、終戦となった。日本が負けた悔しさより、「これで米軍に襲われることはない」と安堵(あんど)したのを覚えている。
足を負傷後は思うように歩けず、半年間学校に通えなかった。空襲で校舎は焼失し、終戦後しばらくは近くの神社が学びやとなっていた。多くの子どもが不自由なく学校で勉強できる今の時代は幸せだと思う。
列車の襲撃のように無防備な市民が狙われるのが戦争。足に残る傷を見るたび、命が助かったことへの感謝と平和を守る大切さをかみしめている。
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