覚えた軍歌は100曲。防空壕で兵隊は「もう一度おふくろに会いたい」と言った。何でも「お国のため」。恐ろしい教育の力〈証言 語り継ぐ戦争〉
2021/09/12 11:00

子どもの頃に覚えた軍歌を歌う岩元和さん=鹿屋市野里町
海軍鹿屋航空基地の近くに住む農家の両親の下、10人きょうだいの1番目に生まれた。小学2年生だった1937(昭和12)年、日中戦争が始まった。父親は翌年出征。周辺の農家の男性も徴兵され、小学校では農作業をさせられた。
42年、鹿屋高等女学校(現鹿屋高校)に入学。野里駅から汽車通学した。基地が見渡せる場所を通過する時は、車窓のよろい戸が閉められた。敵国のスパイが基地内を撮影できないようにするためと聞いた。
母方の祖父母の家には蓄音機があった。幼い頃から音楽をよく聴き、歌うのが好きだった。小学校と女学校でも歌を習い、覚えた歌をいつも口ずさんでいた。
戦争が学校生活に大きく影響するようになったのは女学校在学中。1年生の1学期に受けていた英語の授業は、2学期からは「敵国語」として禁止になった。3年生になると授業そのものがなくなり、畑仕事などの奉仕作業に従事する日々が続いた。今の鹿屋寿自動車学校の辺りに軍用機を隠す掩体壕(えんたいごう)を造った。レコードに録音されたボーイングやロッキードなど敵の軍用機の飛行音を聞き分ける勉強をしたこともある。
45年3月18日、鹿屋への空襲が始まった。日に日に激しくなり、夜中に警報が鳴るとはだしで防空壕へ走って逃げた。爆撃後、農業用の馬が何頭も死に、畑にすり鉢状の穴がいくつも開いていた光景は忘れない。
4月初めのある夜、21、22歳ぐらいの男性が突然家を訪れた。「近く出撃しますので、遺書を書きたいのです。筆と墨を貸していただけませんか」と言う。敵の軍艦に突っ込んで自爆する特別攻撃隊員だった。淡々とした表情で筆を運ぶ姿を遠巻きにじっと見詰めた。3度目の出征直前だった父が「これにも何か書いてください」と半紙を手渡すと、「必殺の剣 特攻隊 山梨県 武井信夫」と書いてくれた。
畑仕事をしていると、飛び立っていく特攻機が見えることがあった。隊員は皆、日の丸が描かれた長い鉢巻きを巻いていた。「お国のために喜んで行ってくださる」と信じて見送った。
8月15日の敗戦後に女学校は再開し、半年後に卒業できた。ただ、戦争で4年間の半分がなくなってしまった。友達と遊んだ記憶もない。2年早くか2年遅く生まれれば良かったと思った。
その後は家業を手伝い、25歳でいとこと結婚。3人の子どもに恵まれた。育児が終わった後の57歳の時、「子どもの頃に習った歌を覚えているだろうか」とノートに歌詞を書き起こしてみた。
♪天皇陛下の御ために 死ねと教えた父母の 赤い心を受け継いで 心に決死の白だすき 掛けて勇んで突撃だ(「勝ちぬく僕等少国民」)
記憶をたどりながらつづった歌は200曲以上。半数近くは戦意高揚の歌詞だった。
戦時中、たまたま同じ防空壕に逃げた兵隊が「もう一度おふくろに会いたい」と言っていたのを覚えている。「喜んで行ってくださる」と思い込んでいたが、泣きながら行った隊員もいたのだろう。
何でも「お国のために」と言われていた時代だった。今振り返ると、教育の力は本当に恐ろしい。
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