【米空母で拾った特攻隊員の財布を巡る物語③】日本とアメリカ、二つの家族を結んだ遺族捜し。戦後76年の今、戦争の記憶をつなぐ大切さをかみしめる
2021/09/06 11:00

伊地知南さん、和枝さん夫婦が、石川県の丸山隆さんの実家を訪ねた時に見せてもらった写生帳。小さい時から絵が好きで、鳥や草花、人の似顔絵などが描かれていた
40年秋に中学校を繰り上げ卒業し、海軍兵学校へ入学した隆さんは、和さんによく手紙を書いていたという。
「年末、遂に火を放った大東亜戦争は其後着々として我の期するが如く進められ今や太平洋の制海権は完全に我が手に」。42年1月1日の日付で広島・江田島の兵学校分隊から出した手紙にある。まだ19歳の少年だった。
44年12月8日付の手紙は、出撃を前に、鹿屋航空基地から移動した台湾の新竹海軍航空基地からだ。まずは初めて踏んだ台湾の地の珍しさをつづる。
「畑には砂糖きびが野原の花の様に生ひ茂っています」「土塀に囲まれた民家の庭からは香りも高いパパイヤのすずなりや高い高い椰子の木が顔を出してゐます。野放しの水牛の背にせきれいみたいな鳥が尻尾をふりふりとまって囀ってゐるのも愉快です」。異国の様子を姉に知らせたかったのか。生きて見る最後の地と覚悟した風景を留めておきたかったのか。
続き、「フィリッピンをめぐる暗雲は未だに晴れるとも思はれません。近き将来に必ずや決戦の場に参加する事と期待してゐますが今迄自分達が率ゐてやって来た赫々の戦果には御期待下さい」と書いた。これが最後の手紙となった。1カ月後、両親の写真を胸に、マニラ沖の米空母に体当たりした。
2005年の夏、霧島市の地元情報誌「モシターンきりしま」に、「特攻隊員の遺品を巡る日米兵士の物語」として一連のいきさつが載った。執筆したのは南さんだ。
姶良市蒲生出身の南さんは大阪の出版社を経て帰郷後、しばらく鹿児島新報社の記者を勤めた。1980年代からはフリーライターとして活動した。
自分たちが巻き込まれた95年の「解決」から10年を挟んでの公表。「私事を語るにはためらいがあるが」との前置きで書き出される。隆さんのおいで同い年の忠範さんがその数年前に亡くなったこと、戦後60年の節目。今記録したい、という思いだったのか。この時の記事には、南さんの取材力、考察力が存分に生かされている。
「国同士の戦争で戦ったが、個人としては(ウィルソンさん一家のように)遺品を届けたい温かい気持ちを持った人がたくさんいたということですね」との忠範さんの言葉も紹介した。
モシターンは今年、5月号、6月号でアーカイブ記事として再掲した。編集長の赤塚恒久さん(69)は「南さんが亡くなって7年。もう一度広く読んでほしいとずっと思っていた」と話す。
特攻兵の遺品を祖父からリレーしたレイモンドさん(50)と希さん(48)は、米国で元気に暮らす。和枝さんは言う。「婿が運んできた縁を通し、夫はよく『戦争ほどむなしく悲惨なことはない』と繰り返していた」
(南日本新聞2021年8月15日掲載)
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