2021/10/13 11:00

【馬毛島案の源流 FCLP移転計画(3)共同文書明記】迷走の果て政治決断

元防衛相の北沢俊美氏=長野市内
元防衛相の北沢俊美氏=長野市内
 2009年9月、民主党は圧倒的な民意を得て政権交代を果たした。鳩山由紀夫内閣で防衛相に就いた北沢俊美氏(83)がまず指示したのは、未解決の重要案件と要望の提示だった。官僚側は警戒していたものの「思いの外、話をしっかり聞いてもらえる」。大臣室には次第に行列ができるようになった。

 「聞く姿勢を見せたかった。野党では知り得ない情報が相当数あった」と北沢氏。重要案件には、米軍空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)移転も含まれていた。06年に日米間で定めた候補地選定の期限(09年7月)を経過。「所有会社は“いわく付き”だが、その時点で馬毛島が有力候補だった」と明かす。

 政権の最優先課題は「最低でも県外」を掲げた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題。名護市辺野古から徳之島や西之表市馬毛島への移設も取り沙汰されたが、次第に雲行きが怪しくなっていく。

■いら立ち

 北沢氏は学生時代、日米安保反対運動に参加。米軍占領下の沖縄の知人宅で酒を酌み交わしたこともあった。沖縄の不条理を十分理解し、防衛相就任後すぐに現地を訪れた。

 だが早い段階で県外移設を断念し、「辺野古案」への回帰に傾く。「日米同盟は国の礎。理想だけでは国を守れないと、在任中に痛いほど分かった」。米側は迷走を深める政権に対し、いら立ちを募らせていた。

 10年6月に菅直人内閣が発足すると、馬毛島案の検討が本格化。極秘に事務次官直轄の5人程度の専属チームを設け、種子島や所有会社を調べた。「これはすごい。理想的じゃないか」。専用機で候補地を視察した際、馬毛島を眺めてうなった北沢氏の姿を防衛省幹部は鮮明に覚えている。

■具体名

 11年1月には、馬毛島の大半を所有するタストン・エアポート社(東京都)に打診した。防衛省は島の評価額を約20億円と算出。買い取りを基本とし、上限40億円程度を見込んでいた。タストン社は約200~300億円の価値があるとして、年間5億円での賃貸契約を主張していた。

 11年6月に米ワシントンで開かれる日米安全保障協議委員会(2プラス2)が迫る中、北沢氏は「日米同盟を守らなければ国を守れない」と考え、FCLP移転候補地として馬毛島を共同文書に載せることを決断。売買交渉への影響を懸念する官僚を押し切った。

 2プラス2当日。北沢氏が「FCLPは何とか進める。シカがいる無人島だ」と水を向けると、ゲーツ米国防長官は「やっと具体名が出た。シカには投票権がない」とジョークを交えて応じた。全国約350カ所に上った移転候補先がようやく定まった。

 北沢氏は防衛相在任中、南西諸島防衛の強化を掲げる現政策の基礎となる「防衛大綱」を策定し、東日本大震災の対応も指揮。防衛省・自衛隊と信頼関係を築いてきたが、2プラス2後の11年9月、野田佳彦内閣の改造に伴い離任した。

 民主政権が弱体化し、国民の期待が大きな失望へと変わっていった時期と重なる。防衛省とタストン社の交渉も平行線をたどり、手詰まり感が漂っていた。

 共同文書への馬毛島明記から10年。北沢氏は言う。「政治も防衛省も大きく変わり、あくまで日米同盟のためだったFCLP移転計画も軍拡競争のように映る。それは全く不本意だ」
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