大久保利通の手紙見つかる 薩摩藩英国留学生の遺品 幕末の動乱伝える資料
2022/01/03 08:46

大久保利通が薩藩英国留学生の町田久成らへ送った手紙。署名と花押がある=大津市の園城寺
手紙は66(慶応2)年8月4日付。留学生の監督役だった町田と、同行した視察員、新納久脩(ひさのぶ)を指す「良太郎」「鋭之助」宛てだった。町田が晩年に僧となった、大津市の園城寺(おんじょうじ)=三井寺=が所蔵しており12月、専門家が確認した。
留学生は前年の65(元治2)年、薩摩藩が西欧の先進技術を取り入れるために15人を派遣。一方の大久保は島津久光の側近として京都などで活動していた。
大久保は留学生をねぎらいつつ「一年ニ而も早ク御帰国充分之御国用ニ相立候様、呉々乍不及奉願候(1年でも早く帰国し、十分国の役に立つよう願っております)」と激励した。
半年ほど前に薩摩と同盟を結んだ、長州の情勢も報告。藩内の結束は強く「幕府でも(長州を)征伐するのは難しい」と記す。
遺品には久光の側近、蓑田伝兵衛(1812〜70年)が同月2日付で出した手紙も。人心は幕府から離れており「天下は瓦解(がかい)するほかない」と動乱が起きる兆しを伝えている。
県内の研究者らは、手紙の筆跡などから「大久保、蓑田本人が書いた可能性が高い」と評価。西郷南洲顕彰館の徳永和喜館長は、それぞれが諱(いみな)=本名=や花押を記したことを「留学生に対する期待の大きさを表したのではないか」とみる。薩藩留学生に詳しい鹿児島国際大学の森孝晴教授は「英語が壁となり、留学生たちの勉学は順調でなかった。手紙はプレッシャーを与えたはず」。
町田は明治政府で文化財保護に尽力。遺品には、自ら調査した正倉院宝物の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」の切片もあった。志學館大学の原口泉教授は「左遷や免職など、町田は挫折の多い人生を送った人物。輝かしいキャリアの証しとして、手紙を最後まで持っていたのかもしれない」と話した。
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