【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」②】念願のプロ入り。「努力は裏切らない」という言葉支えに3年目で開幕スタメンに。「思いきって戦ってこい」。金本知憲監督の言葉が背中を押した

 2022/02/23 11:02
阪神の入団発表会で背番号24のユニホームを披露する横田慎太郎さん
阪神の入団発表会で背番号24のユニホームを披露する横田慎太郎さん
 2013年12月、プロ野球の世界に大きな夢を持ち、阪神の入団会見に臨みました。球団が用意してくれた背番号は「代打の神様」と呼ばれた桧山進次郎さんが着けていた24番。期待を感じました。

 一日も早く1軍で活躍することが期待に応えること、と決意しました。しかし、プロの世界は、すべてのスピードが高校野球をはるかに上回ります。投手の球、守備の動き、走塁、バッティング…。それまで見たことのない速さです。

 どうやったら対応できるのか。先輩やコーチに何度も聞き続けました。遠くに飛ばしたいがために力一杯振っていたバッティングでは、体の力を抜くように練習しました。また、ピッチャーそれぞれの違いを研究するなど、基礎から学び直して、人一倍、努力を繰り返しました。

 そうするうち、少しずつプロのスピードに慣れてきました。初めて速いボールを遠くへ打ち返したうれしさは、今でも忘れません。

 僕は子どもの時から、一日一日の目標を立てて練習に取り組んできました。それをプロでも実践しました。支えは「努力は裏切らない」という言葉。目標をクリアするまでは自分との孤独な戦いです。もちろん、人にも負けたくない。とにかく毎日必死でした。

 1、2年目は2軍の試合が中心でしたが、3年目は初めて1軍キャンプに参加することができました。そして、オープン戦で4割近くの打率をたたき出すことができました。今までの練習の成果が出た、と自信を持てるようになりました。

 プロ入り3年。ずっと思い描いていた開幕スタメンの座を勝ち取ることができたのです。うれしさより、結果を出してこの座をつかみ続ける、自分のものにする、と強く思いました。

 初めての1軍の試合は緊張しました。金本知憲監督(当時)から「今までの結果を残したのはお前だから、思いきって戦ってこい」と送り出されました。その言葉で緊張がほぐれ、開幕1戦目はプロ初盗塁、2戦目で初ヒットと初打点、そして3戦目も2本のヒットを放ちました。

 やっと本当のプロ野球選手になれた気持ちになりました。このまま1軍定着―。しかし、プロの世界はそう甘くはありません。なかなか結果を出せず、シーズン後半は2軍へ落ちてしまいます。

 絶対にもう一度1軍へ行くんだ、と強い気持ちでさらに練習に励みました。プロ選手も毎日の練習の積み重ねで結果を出しているのです。

【プロフィル】よこた・しんたろうさん 1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊腫瘍髄が見つかり、21年に治療を終えた。現在は鹿児島を拠点に講演、病院訪問、動画サイトの配信など幅広く活動している。父・真之さんも元プロ野球選手。

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