【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」③】ボールが二重に見える…「脳腫瘍です。野球は忘れてください」。医師の言葉に頭は真っ白。プロ4年目、「地獄の入り口」だった

 2022/03/20 11:10
1度目の手術後、目覚める前の横田慎太郎さん。この1カ月ほど後、もう1度手術を受け、一時は何も見えなくなった
1度目の手術後、目覚める前の横田慎太郎さん。この1カ月ほど後、もう1度手術を受け、一時は何も見えなくなった
 2017年2月、沖縄キャンプ。1軍に定着したいという強い気持ちを持ち、プロ4年目を迎えました。そのキャンプは、“地獄の入り口”でした。自分の体に異変が起きたのです。

 バッティング練習中、ボールが二重に見え、思い通りに打てない。守備練習の時も、今まで当たり前にグローブで捕れていたボールがはっきり見えず、うまく取ることができない。それまで体験したことのないことが続き、「どうしたんだろう」という焦りばかりが募りました。

 「お前、最近おかしいぞ」とコーチに言われました。「目が見えにくいんです。ボールが二重に見えるんです」と伝えました。病院に行くよう勧められ、1人で眼科に向かいました。目薬をもらえばいい、というぐらいの気持ちでいたのに、なぜか脳外科を紹介されました。そして脳外科の先生からは予想もしない言葉が返ってきました。「脳腫瘍です。いったん野球のことは忘れてください」

 野球を忘れなければならないぐらいの大きな病気。頭の中は真っ白で、ただただ絶望しかありませんでした。翌日、大阪に戻り入院生活が始まりました。病気を受け入れることができないまま、治療が始まったのです。

 その治療はつらく、苦しいものでした。2カ月で2度の手術、そして抗がん剤治療。一時は目もまったく見えなくなりました。髪の毛をはじめ体のすべての毛が一気に抜け、夏なのにとても寒くてたまりませんでした。吐き気が襲ってきて、ご飯は食べられません。放射線治療も加わり、同時に2種類の治療をすることで、体はだるく、ずっと横になる日が続きました。

 そんな状態でも、絶対にグラウンドに戻って野球をやるんだ、という気持ちだけは持ち続けました。

 小さい頃から両親に「どんな状況でも諦めたら何も生まれない」と教えられてきました。それが身に付いていたため、この時も目標に向かって、絶対に諦めない自分がいました。

 監督や球団関係者、ファンなどたくさんの人たちの温かい言葉に励まされ、「絶対にくじけない」と強く思いました。

【プロフィル】よこた・しんたろうさん 1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊髄腫瘍が見つかり、21年に治療を終えた。現在は鹿児島を拠点に講演、病院訪問、動画サイトの配信など幅広く活動している。父・真之さんも元プロ野球選手。

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