【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」④】念願のグラウンド復帰。二重に見えるボール。脳腫瘍の後遺症は回復しない。立ちはだかる試練。一流選手もできない「大きな挑戦」だった

 2022/04/24 11:00
復帰直後の横田慎太郎さん。最初は軟球を使って感覚を取り戻す練習をした
復帰直後の横田慎太郎さん。最初は軟球を使って感覚を取り戻す練習をした
 2017年9月、半年ほどの治療を終え、念願のグラウンドに戻ってくることができました。

 入院中はずっとベッドの上にいたので、筋肉も落ちてやせてしまい、以前の体とは別人のようになっていました。プロ野球選手がするような練習ではありませんでしたが、まずは約1カ月間、腕立て伏せや腹筋などから始めました。一つ一つのメニューを大事に、毎日続けました。

 グラウンドに帰ってきたことを喜ぶのもつかの間、次の試練が待っていました。脳腫瘍による目の後遺症が思うように回復しなかったのです。

 トレーニングで体はできあがっても、正確なボールの動きを目で追うことができませんでした。とても悔しかったです。でも、「いつか見えるようになる」と自分に言い聞かせて、諦めずに練習を続けました。

 2年ほどたった時、ふと思ったのです。他の選手はきれいにボールが見えている。しかし自分は、二重に見えたりぶれたりして、ボールをしっかりと追うことができない。逆に考えると、自分1人だけがこんな目でも大きな挑戦をしているのだ、と。

 そう考えると、自分は一流選手にも負けないくらいすごいことに立ち向かっているのだと思えるようになりました。毎日、自分のできることを、精いっぱいやり続けようと決めました。

 プロのピッチャーが投げる硬球が体に当たると、骨折することもありとても危険です。ボールの正確な動きが見えないため、自分はバッターボックスに入ることもできませんでした。それでも、ピッチング練習場に行って、離れた所からタイミングを取ってバッティングの練習をしました。

 練習に制限があり、とても悔しかったです。それでも、ファンのみなさんが暑い日も寒い日も毎日、朝早くから球場に来てくれました。応援に応えるためにも、何とか次は試合に出て結果を残したい、と思って練習を続けていました。

【プロフィル】よこた・しんたろうさん 1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊髄腫瘍が見つかり、21年に治療を終えた。現在は鹿児島を拠点に講演、病院訪問、動画サイトの配信など幅広く活動している。父・真之さんも元プロ野球選手。

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