整地したら見つかった…生家跡地の防空壕 太平洋戦争中、父と集落の住民が造成

 2022/08/15 20:55
出入り口から見た防空壕内部の様子=伊仙町中山
出入り口から見た防空壕内部の様子=伊仙町中山
 鹿児島県伊仙町中山の集落で、防空壕(ごう)が見つかった。奄美市名瀬朝仁町の岡村政子さん(85)が「生まれ育った本家跡地をきれいにしてあげたい」と徳之島の親戚に相談。整地中、跡地横の小山の斜面にその姿を現した。岡村さんは「戦時下の遺跡。後世に引き継いでほしい」と願う。

 防空壕は高さ約130~170センチ、幅約100~120センチ。出入り口が2カ所ある「コ」の字形で、並行に掘られた約3メートルの横穴を約5メートルの穴が直角につなぐ。赤土で覆われ、所々に石灰岩の硬い部分がある。岡村さんの父、明和福隆さんが太平洋戦争中に集落民と協力して造ったとみられる。

 岡村さんから相談を受けた、めいの池田ひで子さん(71)=徳之島町亀津=の義弟徳範文さん(67)=同=が7月、跡地を整地中に見つけた。

 空襲が激しくなった1945年4月頃、家族と山へ逃れ、明和家の蔵で約1カ月過ごした当時7歳の上木久市さん(84)は「草木に守られ、機銃掃射におびえることもなかった安全地帯。防空壕は子どもたちの遊び場だった」と振り返る。

 上木さん一家はその後、伊仙町伊仙の集落へ移動。焼夷(しょうい)弾で周囲の建物は焼け落ちたが、昼は川沿いのやぶに隠れ、夜は畑でイモやウリなどを食べて命をつないだという。

 生家跡地がきれいになり、岡村さんは「懐かしい景色がよみがえった」と目を潤ませた。今後、同地は島の子どもたちの勉強と遊びの場として整備される予定という。