「段」と「浦谷(うらんたん)」で「壇ノ浦」…鹿児島に多い、平家落人伝説の地を訪ねてみた

 2022/08/30 13:47
段集落の民家に立つ俗称「平家墓」=垂水市
段集落の民家に立つ俗称「平家墓」=垂水市
 NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、平安末期の源平合戦から鎌倉初期の時代を描く。物語も中盤を過ぎ、この時代の複雑な歴史に興味を持った方も多いのではないか。鹿児島との関わりを探してみた。

 壇ノ浦の戦い(1185年)で敗れた平家一門は全国に散ったとされる。鹿児島県内には多くの落人伝説が存在する。垂水市で落人が住み着いたと伝わる二つの集落を訪ねた。集落名は「段」と「浦谷(うらんたん)」で、合わせると「壇(段)ノ浦」-。

 市街地から車で10分ほど走った水之上地区の白山入口に段集落はある。平家の子孫とされる民家があり、「平家墓」と呼ばれる五輪塔がある。住人の90代女性は「昔、石塔を片づけたら不運が続き、元に戻したと聞いている」。周辺にも数基の石塔があるが、由来や関わりは不明。

 浦谷集落は国道220号から東へ2キロほど、中俣地区の山あいにある。子孫とされる人たちは市街地に移り、今はゆかりの人はいない。畑の地面からポツンと突き出た岩が目についた。風化しているが加工されたような形。畑を耕していた70代男性は「岩は四国(平家の本拠地)を向いている。何か理由があるのだろう」と言う。

 市文化財保護審議員の川崎あさ子さん(72)が浦谷集落の出身者に聞き取りしたところ、「源氏につながる白い生き物は不吉なので飼ってはいけない」などの言い伝えが残っていた。昔は平家同士で結婚するため顔合わせをする場所があったことや、敵が海から来た時に逃げる秘密の山道も代々伝えられたという。

 市史によると、ほかにも平家とかかわりが深いとされる地域が数カ所ある。牛根の居世(こせ)神社は安徳天皇を祭ったとされ、近くに陵墓もある。

 垂水市出身の故・永井彦熊氏が全国の落人伝説や古文書を研究・調査した「落日後の平家」(1972年)によると、落人集落と伝えられるのは全国で約340カ所、南九州は4割超の約150カ所で特に大隅半島に多い。船で太平洋岸に着き、山越えで九州各地へ潜伏したとみられる。

 志學館大学の原口泉教授は「平清盛は対外交易の拠点だった大宰府を支配した。九州には平家の権力基盤があった」と指摘する。地元の豪族も平氏を名乗っていた。「中央から遠く、鎌倉幕府の支配が強まっても平家ブランドを魅力的と感じる有力者の保護もあっただろう。桓武天皇につながる平家と縁を持つことは、地元支配の正当性の主張に役立った」

 平家の物語は琵琶法師によって全国で語り継がれ、各地に伝説を生んだ。川崎さんは「平家の落人は地方に貴族社会の文化を運んできた人たちとして尊ばれてきたのではないか。伝説が現代の私たちとつながっていることを後世に伝えたい」と語る。

(連載「鹿児島の『鎌倉殿』㊤」より)