鹿児島に多い姓をたどると…重なり合う源氏と平氏 薩摩隼人は南九州の人ではなかった!?
2022/08/31 13:45

鎌倉市の市民グループから贈られた源頼朝の墓のレプリカ=鹿児島市吉野町
鎌倉にある頼朝の墓は江戸時代に島津重豪が改修した。鹿児島市の仙巌園に隣接する鶴嶺神社前にはレプリカがある。鹿児島で源氏の代表格と言えば、島津氏を思い浮かべる人は多いだろう。
しかし、「残念だが忠久の父親は頼朝ではない。権威付けのため『頼朝落胤(らくいん)説』を打ち出した」と話すのは、尚古集成館の松尾千歳館長。忠久が生まれたのは1179(治承3)年とされるが、実は同じ年の公家の日記に、成人の忠久が登場するという。「仮に忠久の生年を20年ほどさかのぼらせると、頼朝が10歳すぎの時の子どもという計算になる」。少々無理がある説と言えそうだ。
本来は「惟宗(これむね)忠久」で、朝廷や摂関家に仕える家柄だったとみられる。比企氏の縁者として頼朝に重用され、南九州に広がる島津荘の地頭職、薩摩・大隅・日向の守護職を与えられ島津を名乗った。
鎌倉時代になると、鹿児島には忠久の家来をはじめ、平家追討や幕府内の抗争で恩賞をもらった東国の御家人たちがやってきた。彼らは従来の本拠地の地名を姓として名乗ることも多かった。「鹿児島県姓氏家系大辞典」(角川書店)や松尾さんによると、渋谷(神奈川県)、酒匂(同)、鮫島(静岡県)、鎌田(同)などの一族だ。
対する平氏に由来する姓も多い。「平安時代、鹿児島は平清盛とは別系統の『薩摩平氏』が勢力を持っていた」(志學館大学の原口泉教授)ためだ。
島津家の名前の由来となる「島津荘」を開いたのは平季基(すえもと)とされる。元々は大宰府の役人で、南九州の「無主荒野之地」を開発したという。薩摩平氏の祖とも考えられている。
一族の阿多忠景は、交易拠点を抑えながら内部抗争でのし上がり、強大な勢力を築き上げた。頼朝の叔父、為朝を婿にしたとも伝わる。清盛の家来に追われ、南海に逃亡した。
阿多のほかにも、河辺、指宿、別府、知覧、頴娃などの姓が薩摩平氏という。禰寝(ねじめ)、種子島の両氏は清盛につながるとされる。
松尾館長は「勇猛さで知られる薩摩隼人は、元々南九州にいた人たちがそのまま武士になった訳ではない。平氏や源氏、東国の武士ら移住組が重なり合ってつくり上げられた」と語った。
(連載「鹿児島の『鎌倉殿』㊦」より)
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